TWO BOOKS

白黒写真が僕を好きな理由

思いは言葉に / Arigato

(”Arigato” @Gifu Japan Yohei Maeda Photography)

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(*今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」 )

今年で32歳。おじいちゃんとおばあちゃんはもういない。

 

母方のおじいちゃんは私が生まれる前に癌で他界しており、実際に記憶にあるおじいちゃとおばあちゃんの姿といえば、父方の二人と、母方のおばあちゃんだ。今日は一緒に同居していた父方のおじいちゃんとおばあちゃんの思い出について綴ってみようと思う。

 

私は父方のおじいちゃんおばあちゃんと同居して育った。いわゆる田舎の家だったので、小さな頃から田んぼや畑へ一緒について遊んでいた。父母は共働きだったので、小中学校の事業参観には代わりにおじいちゃんやおばあちゃんが来てくれたこともあった。生まれてからずっと一緒に暮らしてきたので、ずっとそばにいることが当たり前の存在だった。

 

おじいちゃんは細身だけど筋肉質で力持ち。手先が器用でとても几帳面な人だった。小学校の頃の夏休みの工作も手伝ってくれた。毎日かかさず日記もつけていた。晩年近くになって色んな薬を飲むようになった時も、飲むタイミングごとに薬を小分けして丁寧にラベリングしてあった事を良く覚えている。そんな人だった。

 

おばあちゃんは女性のわりに足の大きな賢い人だった。母が仕事で帰りが遅い時は母に代わって晩ごはんを作ってくれた。また、母の晩ごはんが楽になるようにと、でしゃばりすぎることなくもなく一品だけ煮物を作ってくれてたりもしていた。気の利いた姑心という名の賢さだったんだなと今更ながら気づく。私が男ながらお手玉もあやとりも一通りできる理由はおばあちゃんが教えてくれたからだ。

 

ほとんど毎日二人で畑や、田んぼへ仲良くでかけて昼ご飯を家で食べに戻る。そんな普通の日常だけでなく、年に数回は二人で国外問わず旅行にも良く出かけていた。「田舎の同年代の中ではおそらく自分たちが一番海外へいってるぞ。」という話がおじいちゃんの自慢だった。

 

私が大学時代にアメリカへ留学を決めた後、父母と離れることよりもおじいちゃんおばあちゃんと離れることの方が寂しかった。年齢的にもしかしたらこれが最後になるかもしれないという怖さがより強かったからだ。だから、長期休みで帰国した時には、畑や田んぼを手伝いながら、二人の写真を沢山撮ったものだった。(*アメリカへ戻る前日に、実家の部屋に”お手伝いありがとう”と書かれた封筒が置いてあった。冒頭の写真はその時のものだ。)

 

そんなおじいちゃんとおばあちゃんは、海外留学を終える時まで結局元気でいてくれた。その後私が東京で働きだしてからも、引き続き元気に生活していた。しかしながら、徐々におじいちゃんは腰痛を訴え出し、足が思うように動かなくなってきた。一方で、おばあちゃんは少しずつおかしな発言目立ち始めたのだった。父が病院に連れて行ったところ、痴呆症が発症しだしているとの事だった。現代の医学では痴呆症を治すことは出来ず、除々に痴呆度合いは進行していった。

 

おじいちゃんは頭はしっかりしているが身体が思うように動かなくなり、おばあちゃんは身体は動くが、痴呆が悪化していた。定期的にデイサービスへ一緒にいくものの、準備の遅いおばあちゃんに苛立ちをみせるおじいちゃんが見れ隠れし始めたのもこの頃だったと思う。おばあちゃんの痴呆具合は進み、お風呂へ入るのも大変になっていた。母が面倒をみていたが、心の広い母ですら少しずつ滅入ってきていたのは明らかだった。

そんな折、おじいちゃんから父へ、

「もうあいつ(おばあちゃん)は施設にいれた方がいい。」

と、父へ言った。

父も考えてはいたがその一言をきっかけに正式におばあちゃんを家から近い一軒家のアットホームな施設へ入居させた。

 

不思議なもので、その数カ月後におじいちゃんは亡くなった。泊まりのデイサービスの朝方に、ひっそりと息をひきとった。タイミングを知ってか知らずか、家族にとって一番適切な判断をして、綺麗に亡くなっていった。本当に不思議なタイミングだったように思う。

 

おじいちゃんの葬儀の時、私はおばあちゃんを車いすで式場へと連れてきた。おばあちゃんの痴呆は更に進行しており、孫達や父母達の名前さえ覚えてない状態だった。葬儀の一番前の父母の隣に車いすで並ぶおばあちゃん。お経を詠むお坊さんを気にもせず、

「わっち(私は)おじいちゃんが一番好きやでね」

と、ずっと連呼して泣くおばあちゃんがいた。痴呆で家族の名前も記憶も全くでてこない状態の中、遺影で笑うおじいちゃんを見るや否や、それがおじいちゃんだと分かるらしかった。分からないかもしれないが反射的に分かっていたように思う。それがおじいちゃんで、そのおじいちゃんを大好きだったという事実は明確に感じていた。

葬儀の後にお坊さんから聞いた話だが、おばあちゃんが施設に入った後におじいちゃんが「とうとうあいつは施設に入ってしまってね。」と寂しそうに話をしていたと聞いた。



うさぎは寂しいと死ぬらしい。

寂しさが死期を狭めたという考え方も無いことはないが、おそらく、おじいちゃんは自分の死期めいたものと家族の状況をちゃんとみていたのだと思う。そして、家族にとって一番適切なタイミングで最愛の妻を施設へいれるようにと息子の肩を押した。

 

その後、おばあちゃんは痴呆がなだらかに進みながらも、日差しの気持ちいい小さな老人ホームで5年程過ごして亡くなった。消滅する記憶に反比例するかのように、幼少期に覚えた歌を良く思い出しては歌って、静かに余生を全うした。


二人が最後にみせてくれたこのやりとりが、おそらく今まで自分が目撃した一番大きな”愛”だったように思う。そんな愛を自身でも創りたいし、次へと繋ぎたいと思わせてくれた体験だった。最後の最後まで人生を教えてくれたおじいちゃん、おばあちゃんに心から感謝している。

 

思いは言葉に。「ありがとう」。 。

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Maeda

 

  

追伸︰自分が撮りためたおじいしゃんとおばあちゃんの写真達。もしよければご覧下さい。

More Photos / Photography:Yusuke&Kunie

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旅にもってくべきフィルムカメラNo.1! リコー GR1 / two girls

(”two girls” @Bangalore India Yohei Maeda Photography)

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旅にはどんなカメラを持って行きますか?

1人旅には?家族旅行には?友達と行く旅行には?出張には?

 

誰と、何をしに、どれだけの期間いくのか次第だと思う。基本的に写真を撮るという行為は単独行為だ。”撮影”とは1人作業の極み。なんならば知人がいない方が気ままに撮影できる。時には1つの対象に1時間以上立ち止まってシャッター切ったり、観光地でもない場所をひたすら歩き回ったり。全てが自分にとっては楽しく、意味ある時間でも、同行者には理解不能な”待ち時間”になってしまうから。

 

私の場合は、どれだけの時間を自分勝手に使えるのかによって意図的にカメラを使い分けている。実は長年特に友人との旅行が悩ましかった。現地で一緒に行動するためなかなか1人気ままに撮影するわけにはいかない。とはいえ、新しい場所、未知の景色、ふとした瞬間etc..は逃したくないし、撮影したくて仕方なくなる。

 

特に自分の場合はフィルムカメラで撮影し続けており、その作品としてのクオリティ担保は至上命題。仕方なくという意味で撮影するクオリティ劣化した写真は意味がない。f:id:yonpei704:20170701122226j:image

で、そんな時こそGR1が最高だと改めて再認識しているのだ。今更か?そんな声も聞こえてきそうだが、そう、今更ながら改めてリコーGR1が最高なのだ。GR1/GR1s/GR10/ GR21/GR1v と色んな種類があるが、私は約10年程GR1sを愛用している。どれがいいの?みたな議論は正直愚問だが、気になる方は下記が詳しいので一読あれ。

GRについて / デジタルカメラ | RICOH IMAGING

GR1sの素晴らしさ

実は購入したのは10年ほど前。見た目がかっこ良いという理由と、プロの写真家も愛用する程のクオリティという理由で購入していた。たまに利用していたが、ちょっと広角気味のレンズと”自分で切り取った感”のなさに、タンスの肥やし的なカメラの1つと成り下がっていた。

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が、今回フィリピン人同僚の結婚式に同僚達とフィリピンへ行くという、なんとも自由に行動できなさそうな旅にこのカメラを選んだ。 f:id:yonpei704:20170626214413j:image

軽い、小さい、クオリティ高い。更にはこのカメラ片手に持ってても友人達も気にならない。物理的にも心理的にも気軽。改めてこのカメラの素晴らしさを再認識したのだった。GR1sの素晴らしさを。

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友人とアイランドホッピングしてる最中にも、良き景色あれば逃さずパシャパシャ。旅行も撮影も両どり。

実際にGR1sで撮影した写真まとめ

一部ではあるが、GR1sで撮影したなーという写真達をサンプルとして下記掲載してみる。いかがだろうか?決してコンパクトカメラで撮影したとは思えないクオリティではないだろうか?気軽にポケットに忍ばせることができたかこそ撮影できた。そんな写真ばかりだという事実に気づく。

気軽に、いつでもどこでも。そんなクールな相棒とだからこそ撮影できた作品達なのだ。

(”kung fu tiger” @Florida USA Yohei Maeda Photography)

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たしか海パン&Tシャツだったはず。カバンももたずに。フロリダの海岸沿いの町中をGRv1片手に闊歩してた時に撮影した写真。ゆるすぎるキャラクターと”Kung Fu Tiger”という絶妙なネーミングセンスに思わず撮影。気軽な一枚。大きなカメラだったらこの時持ち歩いてなかったと思う。

 

(”one night flower” @Gifu JAPAN Yohei Maeda Photography)

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唯一の撮影場所は実家の写真。夜22時ごろだったと思う。母がちょっと来てみー。と外から声がする。何かと思ったら月下美人という1年に一回夜のみに咲く花が咲いているとのこと。興奮気味の母を横目に、年一の花が地べたに這いつくばっている様に撮影衝動が起き、即座にGR1sを選択して撮影した。GR1sにはフラッシュ機能がついているのだ。暗闇の中、地べたからフラッシュをたいて撮影した月下美人

 

(”shoe” @Buffalo USA Yohei Maeda Photography)

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アメリカいた頃。友人とスーパーに買物いった帰りだったと思う。なんも変哲もない日だったがカメラをポケットに忍ばせていた。アメリカらしい無駄に広い駐車場にある片方の靴。車から落ちたことに気づかずに置き去りにされたのであろう靴。色んな妄想は膨らむが、駐車場の広さとシュールな片方靴の対比に、ちょっと広角気味のGR1sのレンズはしっくりきた。

 

(”YA” @Marina Bay Sands  Singapore Yohei Maeda Photography)

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記念撮影的な一枚だったとしても気軽に撮影できる。海外ならでは、旅行ならではの一枚をiphoneではないカメラで撮影してみることはおすすめなのだ。アラーキーの私的な写真とは言わないが、私的な写真にしかない素晴らしさはあると思っている。私的上等。

 

(”favorite things” @Bangalore India Yohei Maeda Photography)

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(”favorite things” @Bangalore India Yohei Maeda Photography)

空港は悩む。写真撮影に関してだ。ドラマが多いし撮影意欲が湧く一方で、セキュリティだの手荷物の制限だので面倒な事が多いからだ。GR1sであればこれまたポケットに忍ばせるだけ。きままに片手に構えて空港内で繰り広げられるドラマを切り取れる。これもその一枚。飛行機をずっと見ている少年の無垢な後ろ姿がたまらない。

 

改めて並べると撮影場所が面白い。確かに旅行、出張、外出時等々、写真撮影が主目的ではないタイミングで全ては撮影されている。気軽に持ち運びできるだけの大きさと性能、そして持って行きたいと思わせるそのクールなフォルムが理由なんだと思う。

旅にもってくべきフィルムカメラNo.1! リコー GR1

知人との旅でも気軽に、クオリティ高い写真を撮りたいと悩んでいる皆様へはとてもオススメのカメラ。あっ、もちろんこれはフィルムなのでご注意を。きっと今だとデジタル版のGRの方が認知度高いと思うけれど、元祖GRのフィルムカメラは本当に最高なのだ。

 

旅にもっていくべきフィルムカメラNo.1はリコーGR1シリーズだと今更ながら声を大にして主張してみた次第だ。中古でかなりお手軽に市場に出回っている。気になった方はお試しあれ。

 

Maeda 

リバーサルフィルムという名のタイムカプセル / time

(”time” @Gifu Japan Yohei Maeda Photography)

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先日実家へ帰省した際、撮影済だが未現像の一本のリバーサルフィルムを発見した。
リバーサルフィルムなんて本当しばらく使ってなかったので、見ただけで結構前に撮影したやつだろうなーと分かった。推定10年位前の撮影フィルム。勿論、何を撮影したのかなんて覚えてない。
 
何も期待もせずにとりあえずフィルムを持ってきて、いつもの通り他のフィルムを現像依頼するタイミングでこのフィルムも一緒に現像してみた。

フィルムという名のタイムカプセル

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ロン毛の自分がいた。
まだ料理できるくらいしっかりしているおばあちゃんがいた。
腰痛と格闘しながらもシャンとしたおじいちゃんがいた。
おじいちゃん、おばあちゃんの物であふれる家があった。
 
リバーサルフィルムの赤みがかった色なのか、はたまた、今は亡き2人の姿がそうさせるのか定かではない。が、タイムカプセルを数年ぶりに開ける感覚ってこんな感じなんだろう。
 
すぐにアクセスできるデジタルに整理整頓されてない、"フィルムの不便さ"が生み出した昭和的な感覚。ノスタルジー。嫌いじゃない。
 
Maeda

17才の金魚達へ / kaede

(”kaede” @Amamioshima Japan Yohei Maeda Photography)

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2匹の金魚を飼っている。

透明な金魚鉢の中で、7年位ずっと家にいる。白と黒一匹ずつを衝動買いしてきたが、いつのまにか黒色の出目金は色がすっかり抜けて赤色になっている。身体も3倍位大きく成長している。

元気がなかった時期もあり、そろそろ寿命かなと思ったが、今でも何もなかったのように変わらずガラスの金魚鉢の中で泳いでいる。

映画『そうして私たちはプールに金魚を、/ And so we put goldenfish in the pool.』

vimeo.com

映画『そうして私たちはプールに金魚を、』をご存知だろうか?

日本映画初。サンダンス映画祭にてグランプリ受賞した作品だ。

脚本、監督を手がけるのは長久允。初の短編監督作品にして、「サンダンス映画祭」でグランプリを受賞。奇才タランティーノ(『キル・ビル』)、デミアン・チャゼル(『ラ・ラ・ランド』)などを発掘したこの国際的映画祭で、本作は「テーマはユニバーサル。スタイルはネオジャパニーズ。これまでに誰も見たことのない映画!」と絶賛され圧倒的な存在感を放った。日本映画界から世界を驚愕させた、まったく新しい映画作品の誕生。

映画『そうして私たちはプールに金魚を、』公式サイト

その映画が無料で全編公開されているので、興味ある方はぜひ。全編無料で公開される映画って普通ないと思う。短編映画なので30分程度でみれるから気軽に視聴できる点もおすすめだ。

 

狭山市の女子中学生4人が学校のプールに金魚400匹を放ったという実際の事件を題材にしている。4人の女子中学生と埼玉の狭山市の日常を非日常な事件を通して描いている。

 

映画ミーハーな自分はタランティーノ作品がとても好きで、そんなタランティーノを発掘した国際的映画祭で絶賛された映画というマーケティングにまんまと乗せられる形で興味をもったのだ。

感想①:こうなるぞ。でも、そこそこ幸せ〜。

ネタバレしない程度に記載するが、映画内で将来の4人がでてくるシーンがある。中年のおばさんになった4人が中学生の4人へいうセリフを一部抜粋。(*ちなみに、この中学生が登場する場所がまた良い。しがないイトーヨーカドー的な商業施設。まさに”THE 地方都市”。)

「抱かれろ!未来に抱かれろ!」

「未来のお前らです。」

「こうなるぞ。でも、そこそこ幸せ〜。」

パチンコばっかりやってるおばさん。5人子持ちのおばさん。シングルマザーのおばさん。公務員と不倫中のおばさん。

 

田舎出身だから良くわかる。田舎以外の生活をしてきたから多少分かる。田舎という金魚鉢の中ではそれが全てで当たり前。過度に外界に期待するわけでもないし、しない方が時に幸せだったりと。

否定するわけでもなく、悪いわけでもない。だって、幸せなのだ。そこそこ幸せなのだ。結局そうなのだ。結局、いつも結局なのだ。

感想②:劇中歌の「17才」について

”海”を”プール”へ、”2人”を”4人”へ

劇中歌の”17才”がとりわけ良い。どういう経緯で、どういう想いで映画を撮影したかはまだ調べてない。勝手な印象は曲中歌の「17才」。この詩からとびだしてきた生きた画。まさにそんな映画だった。

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(*17才 南沙織 歌詞情報 - 歌ネットモバイル)

”海” を”プール”へ。”2人”を”4人”へ 歌詞を読み替えてほしい。そんな映画だと思った。

個人的な趣味もあるが、南沙織森高千里銀杏BOYZ を載せおく。オリジナルは南沙織

www.youtube.com

www.youtube.com

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17才のあの音はまだ聞こえてるだろうか?

映画内で女子中学生4人がカラオケのソファに立ち上がって熱唱しているシーンがある。自分の17才の頃とシンクロする。田舎の古いカラオケで、10人は入れるくらいの部屋。前にはちょっとしたステージがあった。そこに男友達10人位で飛び跳ねながら熱唱していたあの頃を。当時のメンツから、ぴったり17才だったと思う。 高校2年生のあの頃をフラッシュバックした。

 

「この気持ってさ。大人になったら消えちゃうらしいよ。」

「へ〜」

「大人になったら聞こえなくなる虫よけモスキート音みたいにさ」

「ふ〜ん。」

 

17才のあの音はまだ聞こえてるだろうか?

狭山市の金魚達へ

金魚の”美しさ”というよりも、”生物としての違和感”が好きだ。自然の川や池はなぜだか似合わない。生物だから自然界に馴染むはずなのに、自然な生き物というよりもどこか人工的な違和感をもつ。 金魚鉢という人工的な世界が”似合ってしまう”。 

 

「大きな自然の中で生きていた方が気持ちが良いはずだろうに。」、「もっと色んな経験ができるだろうに。」と、勝手に思うけれど、生まれて死ぬまで金魚鉢の中で過ごす奴らにとっての真実かは不明なわけだ。

 

狭山市の4匹の金魚が外界をみた瞬間だったのかもしれない。 ”金魚をプールに解き放つ”という事件を題材にしながらも、狭山市という金魚鉢の中にいる4匹の金魚達(中学生)を描いた作品にしか見えてならない。そう、”金魚を解き放つ金魚鉢の金魚”の映画なのだ。

 

どこでもいい。何をしててもいい。あの4匹の金魚達が、結局、変わらずそこそこ幸せに生きている事を切に願う。

 

Maeda

”見るもの全てが写真になる” by ソール・ライター / still

 (”still” @Shiga JapanYohei Maeda Photography)

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ソール・ライター (Saul Leiter) という写真家をご存知だろうか?

「先日雨が降っていて雨粒を撮っていたら、カメラが変になって露出が足りなくなった。ところが露出不足の方が明るいのよりいいんだ。だからつまり・・・世の中すべて写真に適さぬものはない。すべては写真だ。今日の世界ではほとんどすべてが写真だ」

今年のGWには遠出する予定もさることながら、特別予定を入れてはないが、一つだけ決めている事がある。ソール・ライター展に行くことだ。ちょうどGWを挟んだ期間に渋谷にて個展がある。

www.bunkamura.co.jp

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開催期間

2017/4/29(土・祝)-6/25(日)
*5/9(火)、6/6(火)のみ休館
開館時間

10:00-18:00(入館は17:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
会場
Bunkamura ザ・ミュージアム

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*今週のお題ゴールデンウィーク2017」

”見るもの全てが写真になる” by ソール・ライター 

ソール・ライター(Saul Leiter)。彼は自分を売り込むことを嫌った。一時期NYの超有名ファッション誌の表紙を撮影するような写真家として輝かしい仕事をしていたが、突如世の中からひっそりと消えていった。以降もニューヨークの町並みを闊歩しながら写真を個人的に撮影し続けた。2006年、それまで封印されていた個人的な写真などをまとめた初の作品集が出版されると、80歳を超えた”巨匠の再発見”は世界中で熱狂的に迎えられた。写真を発表もせず、貴重な作品として注目を浴び始めても、何も大したことないと彼は言う。

「写真というものをそれなりに知っていればわかるんだ。本当に新しいものなどない。」 

残念ながら、Bunkamuraへ会期中行くことが出来ない。もしくは、既に既づいた時にはもう終わってしまっていた。なんて人には、彼のドキュメンタリー映画を観て欲しいと思う。iTunesでレンタルすれば300円で視聴できる。

映画の冒頭で、彼について話す関係者が話す言葉の中がある。 ”多くの者より抽象的で、一部の者より構成的。そして大半の者より魂がある。”と。映画を観れば、彼の生き方を観れば、とても良く言い当てている表現だと腹落ちすることだと思う。

急がない人生で見つけた13のこと 

映画「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」の中では、日本語題名そのものが表すように、”13のこと”別にチャプター分けされている。彼の日常を監督自身が密着して撮影し、その中で視えてきたソール・ライターの”こと”、”秘訣”を描き撮った作品だ。

映画のシーンにも出てくるが、ソールは、「もしも撮影されたものが私が納得いく内容でなかったら公開させない。撮影する許可はしたが公開する許可はまだしてない。」と、映画自体に彼が納得いかなければ承認しないとアーティストらしい頑固さを見せる。しかし、後半のシーンでソールは笑いながら(おそらく)編集完了した映画を観て笑いながら「いいね。」と承諾しているシーンがある。つまり、”13のこと”はソールからみてもOKと承認した”切り口”なのだ。

急がない人生で見つけた13のこと
  1. Cameras カメラ
  2. Boxes of Colour 箱入りのカラー
  3. A Legacy 遺す
  4. The Way to God 神に至る道
  5. Taking Photography Seriously 写真を本気で
  6. Staying Still じっとしている
  7. Out Looking for Photographs 写真を探しに 
  8. Doing Something Good 良い仕事を
  9. Pleasant Coufusion 快い混乱
  10. Tickling Your Left Ear 左耳をくすぐる
  11. Sharing Art 芸術を分かちあう 
  12. No Reason to Rush 急ぐ理由はない
  13. A Search for Beauty 美を求めて

13. A Search for Beauty 美を求めて

上記”13のこと”の中でも圧倒的に共感めいた彼の言葉をそのまま書き出して引用する。良く分かるというには痴がましすぎるだろうが、言わんとする意図に強烈な親近感を感じる。

「古風なことをいわせてもらえば、私は美の追求というものを信じている。世の中の美しいものに喜びを感じる気持ちを。それに言い訳なんか要らない。美しさの好みは人それぞれで。ルノワールは甘ったれすぎて嫌だという人もいる。でも私は否定する気にならない。美を追い求めるのは良いことだと見る人生観を、そう信じている。それで良いんだと。世の中には魅力的でないものに惹きつけられる人もいる。惨めなもの浅ましいものに惹かれる人もいる。よく覚えてないが最近誰かが言っていた。幸福は馬鹿げた概念だと。兄にもかつて言われた。”お前はどうかしるよ。幸福の追求を大切だと思うなんて。”言い方は覚えてないが。”幸福は人生の要じゃない。大切なのはもっと他の事だ。”」 

写真集 ”SAUL LEITER Early Color"

彼の数少ない写真集。彼の初期のカラー写真がこの中に収録されている。おそらく、彼が集めた”美”のほんの一部分だろう。映画にあるように、雑な写真管理と、公へ発表する意図もなかったスタンスを鑑みれば。

それでも1人の美の追求する者の軌跡に違いない。だからこそ、人生が詰まった、魂の入った写真集の価値は計り知れない。保持すべき素晴らしい写真集の一つだと思うのだ。

 

Maeda 

平日の夜、自分の写真サイトを自分で作りなおした話 / winter girl

(”winter girl” @Aomori JapanYohei Maeda Photography)

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10年位前に友人に頼んで自分の写真サイトを作ってもらった。当時Flashという言語で作られた写真サイトは自分の思想を反映したクールなものだった。

(思想:”意図的に切り取っている” を見た目として反映させたかったので、黒枠の窓からその景色だけが存在している。そんな見た目を依頼した。四角い枠の比率もフィルム写真のそれと同じ比率そのままに。)

①旧トップページ 

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②旧写真閲覧ページ

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f:id:yonpei704:20170319184017p:plain項目(Black&White、もしくはColor)を選択すると写真がロードされる。この待ち時間がとても長かった。ロード完了後、写真をクリックすると次へ移動する。戻ることも選択することもできない仕様。あくまでクリックし続けるしかない、そんなサイトだった。

お世辞にも使い勝手の良いサイトではなかった。

スマホでもPCでも閲覧できないゾンビサイトへ

しかし、時が流れにつれスマートフォンという新しい時代が到来した。同様に、テクノロジーも変化し、Flashという言語も肩身の狭い存在になっていった。サイトが閲覧できない、管理できない状態へと変化していった。

問題1 スマホで閲覧できない

スマホの登場により、私の写真サイトはスマホで閲覧できないサイトへ成下がってしまっていた。「写真見せて。」という話題になっても残念ながらスマホで閲覧できない・・・。という寂しい仕様へと。

問題2 特定のPCからしかメンテナンスできない

特定のPCから写真をアップしたりできるように友人に設定してもらっていた。だからパソコンが変わっても写真を変更するためだけに当時のPCを利用していた。外出先で写真を変更したり、順番をかえたりする作業ができずメンテナンスする頻度は徐々に減っっていった。

問題3 ついにはGoogle Chrome(パソコン)でも閲覧できなくなった 

更追い討ちをかけるようにGoogle ChromeではFlashで作られたサイトはアクセスできなくなった。。 要するにパソコンからも見れませんぜ。的な。Flashという言語の終焉と共に私の写真サイトは名実ともに終わりを迎えた。 

平日の夜、自分で写真サイトを自分で作りなおした

という事で、このままではいかんなと自分で自分のサイトを作り直す事にした。(注:私はITエンジニアではない。)

便利な時代になったもので、色々なサイト構築専用サイトがある。その中でも私はWixというホームページ作成サイトを利用して作ることにした。あまり深く検討したわけではないが、一番簡単そうだったからだ。

ja.wix.com

現在の私の写真サイト(Yoheimaeda Photography)は、そのwixで平日の夜1時間程度で作ったものだ。少しず手を加えたりしたが、とにかくシンプルな形のままにしている。

①現トップページ

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②現写真選択ページ(Black&White、Color)

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③現写真閲覧ページ

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トップページ→写真項目(写真グループ)ページ。ここから各写真を選択して閲覧する事ができる。写真を表示するためにロードする必要もない。スマホでもGoogle Chromeでも閲覧できる。気ままに項目を加筆修正もできる。どのPCからも写真の投稿ができて管理も楽ちんだ。

自分の写真サイトを保有する事のすゝめ 

写真を撮りためている人は一度試してみてはどうだろうか?InstagramFlickerもブログも気軽に色んな人へリーチ出来るから良いけれど、"自分の写真サイトを持つ" というのはまた違う良さがあるものだなと。

自分だけの場所。自分の家を持つ。そんな感覚なのだろうか?非エンジニアでも簡単に創れるし、修正するために色んな学びを得ることができる。オススメだ。 

*余談:名刺に残る旧サイトのこだわり

とはいえ、写真家としての名刺は当時と変わらない。やっていることは変わらないし、とても気に入っているから。名刺に残る旧サイトのこだわりは健在なのだ。

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10年程前に創った名刺。今もこの先もこの形は健在だ。自分の写真のスタイルはこれだから。

 

自分の写真サイトを持ちましょう。楽しいよ。

 

Maeda 

ギリシャの恵み。Andrewさんのオリーブが美味しくてしょうがない。 / man

(”man” @somewhere GreeceYohei Maeda Photography)

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ギリシャ出身のAndrewさん。

 

「最近一番上の子はギターにはまっていて、自分で曲を作ってるんです。で、英語の歌詞を入れたいからこの英語は合っているかどうかって電話でした。」

 

昔ながらの安い立ち飲み屋で、かかってきた電話にでた後のワンシーンだ。彼の息子(長男)は中学3年生。

 

「1年ちょっとしか経ってないのにyoutubeのギターの弾き方動画を何度も停止しながらみて覚えてるんですよ。本当いいなぁって思うから。その才能は大事にしてあげたいし、伸ばしてやれるようにしたいんですよ。数学とか受験とか勉強もあるんですけど、これは素晴らしいことだと思うんですよ。」

 

人柄がにじみ出てると思った。

 

日本の文化に興味を持ち、大学院で日本へ来日してから19年間日本に住んでいる。関西地方に長らく住んでいて、関西訛りの流暢な日本語を話す。カラオケが好きで演歌も歌う。頑固な面もあって、おかしいと思う事には真っ向から反発する。納得いかない事があれば顔にでる。とはいえ、丁寧な言葉使いと態度、口論した後にもすぐに何事も無かったかのような明るい振る舞いには頭が下がる。

Andrewさんのギリシャ直送のオリーブ

そんなAndrewさんは日本でお店を経営しており、オリーブを販売している。

 

このAndrewさんのオリーブがとにかく美味しい。肉厚のジューシーなオリーブ。たっぷりのオリーブオイルに浸かったフレッシュなオリーブ。彼の親戚のギリシャの農園から直送されたオリーブ。

 

私は家でのちびちび宅飲みする時にも、知人宅でのホームパーティの手土産にも利用させてもらっている。良いものを売りたいというAndrewさんらしい商品だと心底思う。

 

試してみて欲しい。そんじょそこらのオリーブとの違いが分かると思う。

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ギリシャを訪れて初めてオリーブが美味しいと思えるようになったのは22歳の頃。以来、オリーブは好きだが、中でもAndrew's オリーブは格別だと思う。

 

Maeda