TWO BOOKS

白黒写真が僕を好きな理由

撮りたかった写真 / Angkor

(”Angkor” @Siem Reap CambodiaYohei Maeda Photography)

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今でも忘れない。確かに撮ったのに”撮れていなかった”、撮りたかった写真。

 

カンボジアを訪れた時に視たあの光景は奇跡的なものだった。20代前半の若者であった自分の熱量に対して、一ノ瀬泰造氏が答えてくれたとさえ思った画だった。シャッターを切っていて興奮した自分がいるのを今でも鮮明に覚えている。(良い写真は撮影している時に分かる。その写真を今でも忘れない。)

撮りたかった写真

一ノ瀬泰造氏の墓石を背景に、水汲みバケツを2つ方からかけた棒に下げた小さな少女の姿。年頃にして8歳前後だろうか?カメラを見せて、「撮っても良い?」ってジェスチャーをしてみた。仕事(水汲み)に行く最中にも関わらず、ニコッと笑ってこちらに向かって静止してくれた。

 

彼女の数メートル後ろにはこの地で亡くなったとされる戦争写真家の一ノ瀬泰造氏の墓石。彼女が立つ位置が絶妙すぎて、彼女を真ん中に撮影するとその背景にぼやけた形で墓石が写る。そんな構図だったように記憶している。少女の屈託ない笑顔と、肩から下げた棒の両端から下がる水汲み2つのバケツ。全てがその場をその場所を明確に、そして的確に表現してくれる画だった。素晴らしい写真になる。そう確信して何枚もシャッターを切った。震えた。

 

一ノ瀬泰造氏は、戦争下の荒々しい写真を沢山収めている一方、休息時に訪れる各村々の子どもの写真も多く撮影している。村で出会う少年少女の屈託ない笑顔が彼のシャッターを切らせたのだろう。戦下の写真の合間に子どもの写真が混じっているフィルムを勝手ながら想像する。

 

しかし、旅を終えてフィルムを現像してみるとフィルムには画がほとんど残っていなかった。その少女の写真も撮れていなかったのだ。旅の後半からカメラが壊れていたらしい。どうやら、内部のシャッターがうまく開閉してなかったとのこと。後半に撮ったと思った写真はどれもフィルムには記録されていなかったのだ。自分がカメラ越しに捉えた画は、フィルムに記録される事なく、自分の記憶としてのみ残ったのだった。

沢山の中途半端な写真よりも、最高の一枚を撮りたい

あの時、あの瞬間、あの場所でみた画は、完璧に、完全にその彼が視た画であり、彼がとりたかった画であり、彼が出会わせてくれた画だった気がしてならないのだ。 

 

本当に撮りたかった写真の話だ。あのような心底震えるような瞬間に出会えたことが、今もまだ写真を撮り続けている理由の一つだろう。そんな”毒薬”を体験してしまった性ともでも言おうか。

 

あれを超える一枚を撮りたいと彷徨っている。

 

Maeda

※補足:一ノ瀬泰造氏について

一ノ瀬泰造氏は戦争写真家としてカンボジアで1973年に亡くなっている。20代で輝かしい写真を残して、シェムリアップのジャングルの中で亡くなったらしい。その亡くなっただろうとされている地域に墓石が建てられている。

 

以前、青森県立美術館で開催された「生誕80周年 澤田教一:故郷と戦場」へ訪れた時のグログでも少し触れているので、興味ある方はご参照あれ。

yoheimaeda.hatenablog.com

 

写真撮影機材ではなく、撮影方法について語ろう / an old couple

(”an old couple” @New york USAYohei Maeda Photography)

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写真撮ってますか?

こんな記事に出会い、思わず「そうそう。」と納得する部分と「う〜ん。」という部分があったので、自分なりに大事だと思うコツを選んで書いてみる。記事への、また、その元ネタの写真家トーマス・ロイトハルト氏へのリスペクト込めて。

gigazine.net

街中のふとした光景を撮影する「フォトウォーキング」のコツ23個の個人的賛否

◆01:黒っぽい服を着ること
賛成  学生時代に見た全身真っ黒の強面スタジオ写真家集団を思い出す。黒ずくめ&皆坊主だったな。
◆02:カメラのワイヤレス操作機能を使う
保留 デジタルじゃないから機能ない。被写体によってはありだと思う。
◆03:カメラのモードを正しく使い分ける
保留 古いマニュアルカメラだからそもそもPモードない。
◆04:構図を決めてタイミングを待つ
賛成 よくやる。意図的な構図を創ることは強く意識してる。理系脳だからか、ふわっとした気持ちだけ優先の”薄い”写真は好きでない。意図的な写真にこそ写真家の存在意義があると強く思っている派だ。
◆05:連写モードを使う
反対 これもマニュアルカメラを愛用するため機能ないが、上記同様、意図的に切り取ったという事実(センス)に価値を感じるから好きではない。硬派すぎるとは思うけど心底そう思ってる。
◆06:決定的な瞬間を待つ
賛成 よくやる。よく待つ。だから1人で撮影しにいくと気づけばほぼ同じ場所で時間だけ過ぎてること良くある。逆に街を歩いていて、そういう写真家をみるとGood Luck!って思う。
◆07:目を凝らして輝度を測る
賛成 細部を写す事は大事。昔極端にコントラストの強めの写真を撮影してこともあっったが、暗部の詳細の大事さを指南されて考え方がかなり変わった。暗部にも大事な詳細はある。可能な限りの情報を適切にコントロールしたいと思っている。
◆08:時には撮影を中断して、Instagramなどに写真を1~2枚アップロードする
保留 デジタルじゃないから。
◆09:同時に、写真のバックアップを取っておき、メモリーカードの容量を空ける
保留 デジタルじゃないから。
◆10:新しい構図を探す
反対 分かる。し、自分もたまに試す。が、結局最終的に納得いかない。”◆05:連写モードを使う”の反対理由と同じだろう。自分で視た”意図的な”写真こそ価値があると考えてるから。
◆11:高い場所から撮影する
反対 上記◆10に同じ。
◆12:三脚を使う
反対 反対?というか、基本つかわない。機動性重視の方がスナップ撮影には良い。重いと歩き回れないという体力的な意味合いにおいても。
◆13:水は遅めのシャッタースピードと相性がよい
反対 そんなことはない。早めで切り取る選択もよい。普段目にしない光景になり得るから一見シャッタースピード遅めの水の表現は美しく見えがちかもしれない。が、自分はそういうことで勝負したいわけではない。
◆14:その場のものをフレームとして使う
賛成 とても共感。よくやる。想像して創造する。
◆15:路地や出入り口を利用する
賛成 やる。”◆14”と似た感覚だろう。
◆16:被写体の一部だけを撮影する
賛成 やる。
◆17:影を利用する
賛成 白黒写真を撮影するので影は利用する。影は画をデザインするのに使える重要な要素。
◆18:反射を利用する
保留 それを利用できるシーン自体に遭遇する機会少ないかな。
◆19:人を恐れず撮影する
”大”賛成 これに尽きる気がする。失礼と思われるぐらい突っ込めるかは重要かなと思っている。プライバシーとか個人情報がとか言われる昨今だが、過去のマスターピースとされてる写真をみても、人を被写体としているスナップはこれに尽きる。
◆20:被写体に自己紹介をする
賛成 ”◆19:人を恐れず撮影する”をするためにもマナーは大事。そのためにも自分のWebサイト、写真をスマホで見せれる状態をつくっておく事をオススメしたい。撮影した後に話をする。で、盛り上がれば自分のサイトを紹介して去っていく。昔はアドレスを書いた名刺を渡していたが、最近はスマホでサイトをみせたりすること多い。
yoheimaeda.hatenablog.com
◆21:写真は消さずに保存しておく

賛成 そもそも消すという行為が個人的には信じられない。デジタルだと枚数撮影しすぎてしまうから致し方無いのかもしれないが。。

◆22:白黒加工を使う

反対 ”加工”で変えない。デジタルな加工は補色,ゴミ取り程度の最小限におさえたい。

◆23:写真を加工しすぎない

賛成 ”◆22”に同じ。デジタルを否定するわけではないが、意図的に切り取るという面白さを個人的には楽しんでいるから。 

”撮影スタイル” は十人十色だろう

正解はない。自分らしい写真。それを実現するための自分らしい機材がり、その撮影スタイル がある。そこには個人の最適な撮影のコツがある。
 
案外、撮影機材や撮影手法に言及する記事はみかけるものの、個人的にどうやって撮影しているのかという撮影のコツは少ない気がするな。と、書きながら感じたりもした。個人の撮影方法ってなんだか秘密な事だったりするし、写真家は1人で行動する人多そうだから多分そうとう個性がでると思う。独自の進化を遂げたガラパゴス的な撮影方法ありそうw
 
皆さんはどうやって撮影してますか?
 
Maeda

思いは言葉に / Arigato

(”Arigato” @Gifu Japan Yohei Maeda Photography)

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(*今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」 )

今年で32歳。おじいちゃんとおばあちゃんはもういない。

 

母方のおじいちゃんは私が生まれる前に癌で他界しており、実際に記憶にあるおじいちゃとおばあちゃんの姿といえば、父方の二人と、母方のおばあちゃんだ。今日は一緒に同居していた父方のおじいちゃんとおばあちゃんの思い出について綴ってみようと思う。

 

私は父方のおじいちゃんおばあちゃんと同居して育った。いわゆる田舎の家だったので、小さな頃から田んぼや畑へ一緒について遊んでいた。父母は共働きだったので、小中学校の事業参観には代わりにおじいちゃんやおばあちゃんが来てくれたこともあった。生まれてからずっと一緒に暮らしてきたので、ずっとそばにいることが当たり前の存在だった。

 

おじいちゃんは細身だけど筋肉質で力持ち。手先が器用でとても几帳面な人だった。小学校の頃の夏休みの工作も手伝ってくれた。毎日かかさず日記もつけていた。晩年近くになって色んな薬を飲むようになった時も、飲むタイミングごとに薬を小分けして丁寧にラベリングしてあった事を良く覚えている。そんな人だった。

 

おばあちゃんは女性のわりに足の大きな賢い人だった。母が仕事で帰りが遅い時は母に代わって晩ごはんを作ってくれた。また、母の晩ごはんが楽になるようにと、でしゃばりすぎることなくもなく一品だけ煮物を作ってくれてたりもしていた。気の利いた姑心という名の賢さだったんだなと今更ながら気づく。私が男ながらお手玉もあやとりも一通りできる理由はおばあちゃんが教えてくれたからだ。

 

ほとんど毎日二人で畑や、田んぼへ仲良くでかけて昼ご飯を家で食べに戻る。そんな普通の日常だけでなく、年に数回は二人で国外問わず旅行にも良く出かけていた。「田舎の同年代の中ではおそらく自分たちが一番海外へいってるぞ。」という話がおじいちゃんの自慢だった。

 

私が大学時代にアメリカへ留学を決めた後、父母と離れることよりもおじいちゃんおばあちゃんと離れることの方が寂しかった。年齢的にもしかしたらこれが最後になるかもしれないという怖さがより強かったからだ。だから、長期休みで帰国した時には、畑や田んぼを手伝いながら、二人の写真を沢山撮ったものだった。(*アメリカへ戻る前日に、実家の部屋に”お手伝いありがとう”と書かれた封筒が置いてあった。冒頭の写真はその時のものだ。)

 

そんなおじいちゃんとおばあちゃんは、海外留学を終える時まで結局元気でいてくれた。その後私が東京で働きだしてからも、引き続き元気に生活していた。しかしながら、徐々におじいちゃんは腰痛を訴え出し、足が思うように動かなくなってきた。一方で、おばあちゃんは少しずつおかしな発言目立ち始めたのだった。父が病院に連れて行ったところ、痴呆症が発症しだしているとの事だった。現代の医学では痴呆症を治すことは出来ず、除々に痴呆度合いは進行していった。

 

おじいちゃんは頭はしっかりしているが身体が思うように動かなくなり、おばあちゃんは身体は動くが、痴呆が悪化していた。定期的にデイサービスへ一緒にいくものの、準備の遅いおばあちゃんに苛立ちをみせるおじいちゃんが見れ隠れし始めたのもこの頃だったと思う。おばあちゃんの痴呆具合は進み、お風呂へ入るのも大変になっていた。母が面倒をみていたが、心の広い母ですら少しずつ滅入ってきていたのは明らかだった。

そんな折、おじいちゃんから父へ、

「もうあいつ(おばあちゃん)は施設にいれた方がいい。」

と、父へ言った。

父も考えてはいたがその一言をきっかけに正式におばあちゃんを家から近い一軒家のアットホームな施設へ入居させた。

 

不思議なもので、その数カ月後におじいちゃんは亡くなった。泊まりのデイサービスの朝方に、ひっそりと息をひきとった。タイミングを知ってか知らずか、家族にとって一番適切な判断をして、綺麗に亡くなっていった。本当に不思議なタイミングだったように思う。

 

おじいちゃんの葬儀の時、私はおばあちゃんを車いすで式場へと連れてきた。おばあちゃんの痴呆は更に進行しており、孫達や父母達の名前さえ覚えてない状態だった。葬儀の一番前の父母の隣に車いすで並ぶおばあちゃん。お経を詠むお坊さんを気にもせず、

「わっち(私は)おじいちゃんが一番好きやでね」

と、ずっと連呼して泣くおばあちゃんがいた。痴呆で家族の名前も記憶も全くでてこない状態の中、遺影で笑うおじいちゃんを見るや否や、それがおじいちゃんだと分かるらしかった。分からないかもしれないが反射的に分かっていたように思う。それがおじいちゃんで、そのおじいちゃんを大好きだったという事実は明確に感じていた。

葬儀の後にお坊さんから聞いた話だが、おばあちゃんが施設に入った後におじいちゃんが「とうとうあいつは施設に入ってしまってね。」と寂しそうに話をしていたと聞いた。



うさぎは寂しいと死ぬらしい。

寂しさが死期を狭めたという考え方も無いことはないが、おそらく、おじいちゃんは自分の死期めいたものと家族の状況をちゃんとみていたのだと思う。そして、家族にとって一番適切なタイミングで最愛の妻を施設へいれるようにと息子の肩を押した。

 

その後、おばあちゃんは痴呆がなだらかに進みながらも、日差しの気持ちいい小さな老人ホームで5年程過ごして亡くなった。消滅する記憶に反比例するかのように、幼少期に覚えた歌を良く思い出しては歌って、静かに余生を全うした。


二人が最後にみせてくれたこのやりとりが、おそらく今まで自分が目撃した一番大きな”愛”だったように思う。そんな愛を自身でも創りたいし、次へと繋ぎたいと思わせてくれた体験だった。最後の最後まで人生を教えてくれたおじいちゃん、おばあちゃんに心から感謝している。

 

思いは言葉に。「ありがとう」。 。

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Maeda

 

  

追伸︰自分が撮りためたおじいしゃんとおばあちゃんの写真達。もしよければご覧下さい。

More Photos / Photography:Yusuke&Kunie

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旅にもってくべきフィルムカメラNo.1! リコー GR1 / two girls

(”two girls” @Bangalore India Yohei Maeda Photography)

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旅にはどんなカメラを持って行きますか?

1人旅には?家族旅行には?友達と行く旅行には?出張には?

 

誰と、何をしに、どれだけの期間いくのか次第だと思う。基本的に写真を撮るという行為は単独行為だ。”撮影”とは1人作業の極み。なんならば知人がいない方が気ままに撮影できる。時には1つの対象に1時間以上立ち止まってシャッター切ったり、観光地でもない場所をひたすら歩き回ったり。全てが自分にとっては楽しく、意味ある時間でも、同行者には理解不能な”待ち時間”になってしまうから。

 

私の場合は、どれだけの時間を自分勝手に使えるのかによって意図的にカメラを使い分けている。実は長年特に友人との旅行が悩ましかった。現地で一緒に行動するためなかなか1人気ままに撮影するわけにはいかない。とはいえ、新しい場所、未知の景色、ふとした瞬間etc..は逃したくないし、撮影したくて仕方なくなる。

 

特に自分の場合はフィルムカメラで撮影し続けており、その作品としてのクオリティ担保は至上命題。仕方なくという意味で撮影するクオリティ劣化した写真は意味がない。f:id:yonpei704:20170701122226j:image

で、そんな時こそGR1が最高だと改めて再認識しているのだ。今更か?そんな声も聞こえてきそうだが、そう、今更ながら改めてリコーGR1が最高なのだ。GR1/GR1s/GR10/ GR21/GR1v と色んな種類があるが、私は約10年程GR1sを愛用している。どれがいいの?みたな議論は正直愚問だが、気になる方は下記が詳しいので一読あれ。

GRについて / デジタルカメラ | RICOH IMAGING

GR1sの素晴らしさ

実は購入したのは10年ほど前。見た目がかっこ良いという理由と、プロの写真家も愛用する程のクオリティという理由で購入していた。たまに利用していたが、ちょっと広角気味のレンズと”自分で切り取った感”のなさに、タンスの肥やし的なカメラの1つと成り下がっていた。

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が、今回フィリピン人同僚の結婚式に同僚達とフィリピンへ行くという、なんとも自由に行動できなさそうな旅にこのカメラを選んだ。 f:id:yonpei704:20170626214413j:image

軽い、小さい、クオリティ高い。更にはこのカメラ片手に持ってても友人達も気にならない。物理的にも心理的にも気軽。改めてこのカメラの素晴らしさを再認識したのだった。GR1sの素晴らしさを。

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友人とアイランドホッピングしてる最中にも、良き景色あれば逃さずパシャパシャ。旅行も撮影も両どり。

実際にGR1sで撮影した写真まとめ

一部ではあるが、GR1sで撮影したなーという写真達をサンプルとして下記掲載してみる。いかがだろうか?決してコンパクトカメラで撮影したとは思えないクオリティではないだろうか?気軽にポケットに忍ばせることができたかこそ撮影できた。そんな写真ばかりだという事実に気づく。

気軽に、いつでもどこでも。そんなクールな相棒とだからこそ撮影できた作品達なのだ。

(”kung fu tiger” @Florida USA Yohei Maeda Photography)

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たしか海パン&Tシャツだったはず。カバンももたずに。フロリダの海岸沿いの町中をGRv1片手に闊歩してた時に撮影した写真。ゆるすぎるキャラクターと”Kung Fu Tiger”という絶妙なネーミングセンスに思わず撮影。気軽な一枚。大きなカメラだったらこの時持ち歩いてなかったと思う。

 

(”one night flower” @Gifu JAPAN Yohei Maeda Photography)

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唯一の撮影場所は実家の写真。夜22時ごろだったと思う。母がちょっと来てみー。と外から声がする。何かと思ったら月下美人という1年に一回夜のみに咲く花が咲いているとのこと。興奮気味の母を横目に、年一の花が地べたに這いつくばっている様に撮影衝動が起き、即座にGR1sを選択して撮影した。GR1sにはフラッシュ機能がついているのだ。暗闇の中、地べたからフラッシュをたいて撮影した月下美人

 

(”shoe” @Buffalo USA Yohei Maeda Photography)

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アメリカいた頃。友人とスーパーに買物いった帰りだったと思う。なんも変哲もない日だったがカメラをポケットに忍ばせていた。アメリカらしい無駄に広い駐車場にある片方の靴。車から落ちたことに気づかずに置き去りにされたのであろう靴。色んな妄想は膨らむが、駐車場の広さとシュールな片方靴の対比に、ちょっと広角気味のGR1sのレンズはしっくりきた。

 

(”YA” @Marina Bay Sands  Singapore Yohei Maeda Photography)

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記念撮影的な一枚だったとしても気軽に撮影できる。海外ならでは、旅行ならではの一枚をiphoneではないカメラで撮影してみることはおすすめなのだ。アラーキーの私的な写真とは言わないが、私的な写真にしかない素晴らしさはあると思っている。私的上等。

 

(”favorite things” @Bangalore India Yohei Maeda Photography)

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(”favorite things” @Bangalore India Yohei Maeda Photography)

空港は悩む。写真撮影に関してだ。ドラマが多いし撮影意欲が湧く一方で、セキュリティだの手荷物の制限だので面倒な事が多いからだ。GR1sであればこれまたポケットに忍ばせるだけ。きままに片手に構えて空港内で繰り広げられるドラマを切り取れる。これもその一枚。飛行機をずっと見ている少年の無垢な後ろ姿がたまらない。

 

改めて並べると撮影場所が面白い。確かに旅行、出張、外出時等々、写真撮影が主目的ではないタイミングで全ては撮影されている。気軽に持ち運びできるだけの大きさと性能、そして持って行きたいと思わせるそのクールなフォルムが理由なんだと思う。

旅にもってくべきフィルムカメラNo.1! リコー GR1

知人との旅でも気軽に、クオリティ高い写真を撮りたいと悩んでいる皆様へはとてもオススメのカメラ。あっ、もちろんこれはフィルムなのでご注意を。きっと今だとデジタル版のGRの方が認知度高いと思うけれど、元祖GRのフィルムカメラは本当に最高なのだ。

 

旅にもっていくべきフィルムカメラNo.1はリコーGR1シリーズだと今更ながら声を大にして主張してみた次第だ。中古でかなりお手軽に市場に出回っている。気になった方はお試しあれ。

 

Maeda 

リバーサルフィルムという名のタイムカプセル / time

(”time” @Gifu Japan Yohei Maeda Photography)

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先日実家へ帰省した際、撮影済だが未現像の一本のリバーサルフィルムを発見した。
リバーサルフィルムなんて本当しばらく使ってなかったので、見ただけで結構前に撮影したやつだろうなーと分かった。推定10年位前の撮影フィルム。勿論、何を撮影したのかなんて覚えてない。
 
何も期待もせずにとりあえずフィルムを持ってきて、いつもの通り他のフィルムを現像依頼するタイミングでこのフィルムも一緒に現像してみた。

フィルムという名のタイムカプセル

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ロン毛の自分がいた。
まだ料理できるくらいしっかりしているおばあちゃんがいた。
腰痛と格闘しながらもシャンとしたおじいちゃんがいた。
おじいちゃん、おばあちゃんの物であふれる家があった。
 
リバーサルフィルムの赤みがかった色なのか、はたまた、今は亡き2人の姿がそうさせるのか定かではない。が、タイムカプセルを数年ぶりに開ける感覚ってこんな感じなんだろう。
 
すぐにアクセスできるデジタルに整理整頓されてない、"フィルムの不便さ"が生み出した昭和的な感覚。ノスタルジー。嫌いじゃない。
 
Maeda

17才の金魚達へ / kaede

(”kaede” @Amamioshima Japan Yohei Maeda Photography)

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2匹の金魚を飼っている。

透明な金魚鉢の中で、7年位ずっと家にいる。白と黒一匹ずつを衝動買いしてきたが、いつのまにか黒色の出目金は色がすっかり抜けて赤色になっている。身体も3倍位大きく成長している。

元気がなかった時期もあり、そろそろ寿命かなと思ったが、今でも何もなかったのように変わらずガラスの金魚鉢の中で泳いでいる。

映画『そうして私たちはプールに金魚を、/ And so we put goldenfish in the pool.』

vimeo.com

映画『そうして私たちはプールに金魚を、』をご存知だろうか?

日本映画初。サンダンス映画祭にてグランプリ受賞した作品だ。

脚本、監督を手がけるのは長久允。初の短編監督作品にして、「サンダンス映画祭」でグランプリを受賞。奇才タランティーノ(『キル・ビル』)、デミアン・チャゼル(『ラ・ラ・ランド』)などを発掘したこの国際的映画祭で、本作は「テーマはユニバーサル。スタイルはネオジャパニーズ。これまでに誰も見たことのない映画!」と絶賛され圧倒的な存在感を放った。日本映画界から世界を驚愕させた、まったく新しい映画作品の誕生。

映画『そうして私たちはプールに金魚を、』公式サイト

その映画が無料で全編公開されているので、興味ある方はぜひ。全編無料で公開される映画って普通ないと思う。短編映画なので30分程度でみれるから気軽に視聴できる点もおすすめだ。

 

狭山市の女子中学生4人が学校のプールに金魚400匹を放ったという実際の事件を題材にしている。4人の女子中学生と埼玉の狭山市の日常を非日常な事件を通して描いている。

 

映画ミーハーな自分はタランティーノ作品がとても好きで、そんなタランティーノを発掘した国際的映画祭で絶賛された映画というマーケティングにまんまと乗せられる形で興味をもったのだ。

感想①:こうなるぞ。でも、そこそこ幸せ〜。

ネタバレしない程度に記載するが、映画内で将来の4人がでてくるシーンがある。中年のおばさんになった4人が中学生の4人へいうセリフを一部抜粋。(*ちなみに、この中学生が登場する場所がまた良い。しがないイトーヨーカドー的な商業施設。まさに”THE 地方都市”。)

「抱かれろ!未来に抱かれろ!」

「未来のお前らです。」

「こうなるぞ。でも、そこそこ幸せ〜。」

パチンコばっかりやってるおばさん。5人子持ちのおばさん。シングルマザーのおばさん。公務員と不倫中のおばさん。

 

田舎出身だから良くわかる。田舎以外の生活をしてきたから多少分かる。田舎という金魚鉢の中ではそれが全てで当たり前。過度に外界に期待するわけでもないし、しない方が時に幸せだったりと。

否定するわけでもなく、悪いわけでもない。だって、幸せなのだ。そこそこ幸せなのだ。結局そうなのだ。結局、いつも結局なのだ。

感想②:劇中歌の「17才」について

”海”を”プール”へ、”2人”を”4人”へ

劇中歌の”17才”がとりわけ良い。どういう経緯で、どういう想いで映画を撮影したかはまだ調べてない。勝手な印象は曲中歌の「17才」。この詩からとびだしてきた生きた画。まさにそんな映画だった。

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(*17才 南沙織 歌詞情報 - 歌ネットモバイル)

”海” を”プール”へ。”2人”を”4人”へ 歌詞を読み替えてほしい。そんな映画だと思った。

個人的な趣味もあるが、南沙織森高千里銀杏BOYZ を載せおく。オリジナルは南沙織

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

17才のあの音はまだ聞こえてるだろうか?

映画内で女子中学生4人がカラオケのソファに立ち上がって熱唱しているシーンがある。自分の17才の頃とシンクロする。田舎の古いカラオケで、10人は入れるくらいの部屋。前にはちょっとしたステージがあった。そこに男友達10人位で飛び跳ねながら熱唱していたあの頃を。当時のメンツから、ぴったり17才だったと思う。 高校2年生のあの頃をフラッシュバックした。

 

「この気持ってさ。大人になったら消えちゃうらしいよ。」

「へ〜」

「大人になったら聞こえなくなる虫よけモスキート音みたいにさ」

「ふ〜ん。」

 

17才のあの音はまだ聞こえてるだろうか?

狭山市の金魚達へ

金魚の”美しさ”というよりも、”生物としての違和感”が好きだ。自然の川や池はなぜだか似合わない。生物だから自然界に馴染むはずなのに、自然な生き物というよりもどこか人工的な違和感をもつ。 金魚鉢という人工的な世界が”似合ってしまう”。 

 

「大きな自然の中で生きていた方が気持ちが良いはずだろうに。」、「もっと色んな経験ができるだろうに。」と、勝手に思うけれど、生まれて死ぬまで金魚鉢の中で過ごす奴らにとっての真実かは不明なわけだ。

 

狭山市の4匹の金魚が外界をみた瞬間だったのかもしれない。 ”金魚をプールに解き放つ”という事件を題材にしながらも、狭山市という金魚鉢の中にいる4匹の金魚達(中学生)を描いた作品にしか見えてならない。そう、”金魚を解き放つ金魚鉢の金魚”の映画なのだ。

 

どこでもいい。何をしててもいい。あの4匹の金魚達が、結局、変わらずそこそこ幸せに生きている事を切に願う。

 

Maeda

”見るもの全てが写真になる” by ソール・ライター / still

 (”still” @Shiga JapanYohei Maeda Photography)

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ソール・ライター (Saul Leiter) という写真家をご存知だろうか?

「先日雨が降っていて雨粒を撮っていたら、カメラが変になって露出が足りなくなった。ところが露出不足の方が明るいのよりいいんだ。だからつまり・・・世の中すべて写真に適さぬものはない。すべては写真だ。今日の世界ではほとんどすべてが写真だ」

今年のGWには遠出する予定もさることながら、特別予定を入れてはないが、一つだけ決めている事がある。ソール・ライター展に行くことだ。ちょうどGWを挟んだ期間に渋谷にて個展がある。

www.bunkamura.co.jp

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開催期間

2017/4/29(土・祝)-6/25(日)
*5/9(火)、6/6(火)のみ休館
開館時間

10:00-18:00(入館は17:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
会場
Bunkamura ザ・ミュージアム

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*今週のお題ゴールデンウィーク2017」

”見るもの全てが写真になる” by ソール・ライター 

ソール・ライター(Saul Leiter)。彼は自分を売り込むことを嫌った。一時期NYの超有名ファッション誌の表紙を撮影するような写真家として輝かしい仕事をしていたが、突如世の中からひっそりと消えていった。以降もニューヨークの町並みを闊歩しながら写真を個人的に撮影し続けた。2006年、それまで封印されていた個人的な写真などをまとめた初の作品集が出版されると、80歳を超えた”巨匠の再発見”は世界中で熱狂的に迎えられた。写真を発表もせず、貴重な作品として注目を浴び始めても、何も大したことないと彼は言う。

「写真というものをそれなりに知っていればわかるんだ。本当に新しいものなどない。」 

残念ながら、Bunkamuraへ会期中行くことが出来ない。もしくは、既に既づいた時にはもう終わってしまっていた。なんて人には、彼のドキュメンタリー映画を観て欲しいと思う。iTunesでレンタルすれば300円で視聴できる。

映画の冒頭で、彼について話す関係者が話す言葉の中がある。 ”多くの者より抽象的で、一部の者より構成的。そして大半の者より魂がある。”と。映画を観れば、彼の生き方を観れば、とても良く言い当てている表現だと腹落ちすることだと思う。

急がない人生で見つけた13のこと 

映画「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」の中では、日本語題名そのものが表すように、”13のこと”別にチャプター分けされている。彼の日常を監督自身が密着して撮影し、その中で視えてきたソール・ライターの”こと”、”秘訣”を描き撮った作品だ。

映画のシーンにも出てくるが、ソールは、「もしも撮影されたものが私が納得いく内容でなかったら公開させない。撮影する許可はしたが公開する許可はまだしてない。」と、映画自体に彼が納得いかなければ承認しないとアーティストらしい頑固さを見せる。しかし、後半のシーンでソールは笑いながら(おそらく)編集完了した映画を観て笑いながら「いいね。」と承諾しているシーンがある。つまり、”13のこと”はソールからみてもOKと承認した”切り口”なのだ。

急がない人生で見つけた13のこと
  1. Cameras カメラ
  2. Boxes of Colour 箱入りのカラー
  3. A Legacy 遺す
  4. The Way to God 神に至る道
  5. Taking Photography Seriously 写真を本気で
  6. Staying Still じっとしている
  7. Out Looking for Photographs 写真を探しに 
  8. Doing Something Good 良い仕事を
  9. Pleasant Coufusion 快い混乱
  10. Tickling Your Left Ear 左耳をくすぐる
  11. Sharing Art 芸術を分かちあう 
  12. No Reason to Rush 急ぐ理由はない
  13. A Search for Beauty 美を求めて

13. A Search for Beauty 美を求めて

上記”13のこと”の中でも圧倒的に共感めいた彼の言葉をそのまま書き出して引用する。良く分かるというには痴がましすぎるだろうが、言わんとする意図に強烈な親近感を感じる。

「古風なことをいわせてもらえば、私は美の追求というものを信じている。世の中の美しいものに喜びを感じる気持ちを。それに言い訳なんか要らない。美しさの好みは人それぞれで。ルノワールは甘ったれすぎて嫌だという人もいる。でも私は否定する気にならない。美を追い求めるのは良いことだと見る人生観を、そう信じている。それで良いんだと。世の中には魅力的でないものに惹きつけられる人もいる。惨めなもの浅ましいものに惹かれる人もいる。よく覚えてないが最近誰かが言っていた。幸福は馬鹿げた概念だと。兄にもかつて言われた。”お前はどうかしるよ。幸福の追求を大切だと思うなんて。”言い方は覚えてないが。”幸福は人生の要じゃない。大切なのはもっと他の事だ。”」 

写真集 ”SAUL LEITER Early Color"

彼の数少ない写真集。彼の初期のカラー写真がこの中に収録されている。おそらく、彼が集めた”美”のほんの一部分だろう。映画にあるように、雑な写真管理と、公へ発表する意図もなかったスタンスを鑑みれば。

それでも1人の美の追求する者の軌跡に違いない。だからこそ、人生が詰まった、魂の入った写真集の価値は計り知れない。保持すべき素晴らしい写真集の一つだと思うのだ。

 

Maeda