(”scene” @Somewhere Italy / Yohei Maeda Photography)
そろそろフィルム写真とデジタル写真について自分の考え方を整理してみようと思う。そう、よくあるやつだ。
【藤田一浩×嶌村吉祥丸】インターネットが変えた、写真家という人生 | TABI LABO
正確にいえば、”今の”自分のフィルムとデジタルについての考え方だろう。
時間、お金、気持ちにある程度の余裕がある今だから、多分フィルムでの写真撮影は可能なのだと思う。それらのうちのいずれかが切羽詰まってくれば、お金も手間もかからないデジタルに移行するのかもしれない。写真を撮影し続けて最高の1枚を創りたいというのは事実だ。しかしながら、本当に大切にしたいもののためなら二の次三の次に平気でなり得るというのも事実だろう。本当に大切なものはここではない。それくらいの感覚でもある。フィルムへのこだわりなんてその程度。写真とはそんなもの。
父が癌と宣告されてから、以前にも増して達観しているようにみえる。母と毎週のように旅行に出かけている。何十年とかけて作ってきた会社でも、お金でも、子供でも、孫でもないのかもしれない。本当に大切なもの。。そんなものを観ている気がするのだ。
今あるモノで、今あるコトを、今好きなスタイルで撮る。必要になればそれに適応していく。進化とはそういうこと。変化を受け入れながら時間を全うしていく。「こだわり」なんていう人間が美化し過ぎた言葉をなんなく超越する。そういうことだ。
“ほら、あなたにとって大事な人ほど、すぐそばにいるの〜♪ “ なんて歌があったが、あなたのすぐ側にあるカメラで、楽しく撮影できているならばそれでいい。満足いかないならば新しい可能性を模索すればいい。フィルムvsデジタル論争なんて、結局はそういったもっと大きな範疇の中にあるたわいもない話。大した事ではない。
写真を撮りながら日々進化していけばよい。そういったことを撮影旅をしながら論じてみる、写進化論。
「まつもと〜。まつもと〜。」
大量のフィルムとCanonF-1と共に松本駅にもうすぐ到着する。今のところ、20歳の頃から撮影スタイルは変わってない。
Maeda