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白黒写真が僕を好きな理由

17才の金魚達へ / kaede

(”kaede” @Amamioshima Japan Yohei Maeda Photography)

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2匹の金魚を飼っている。

透明な金魚鉢の中で、7年位ずっと家にいる。白と黒一匹ずつを衝動買いしてきたが、いつのまにか黒色の出目金は色がすっかり抜けて赤色になっている。身体も3倍位大きく成長している。

元気がなかった時期もあり、そろそろ寿命かなと思ったが、今でも何もなかったのように変わらずガラスの金魚鉢の中で泳いでいる。

映画『そうして私たちはプールに金魚を、/ And so we put goldenfish in the pool.』

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映画『そうして私たちはプールに金魚を、』をご存知だろうか?

日本映画初。サンダンス映画祭にてグランプリ受賞した作品だ。

脚本、監督を手がけるのは長久允。初の短編監督作品にして、「サンダンス映画祭」でグランプリを受賞。奇才タランティーノ(『キル・ビル』)、デミアン・チャゼル(『ラ・ラ・ランド』)などを発掘したこの国際的映画祭で、本作は「テーマはユニバーサル。スタイルはネオジャパニーズ。これまでに誰も見たことのない映画!」と絶賛され圧倒的な存在感を放った。日本映画界から世界を驚愕させた、まったく新しい映画作品の誕生。

映画『そうして私たちはプールに金魚を、』公式サイト

その映画が無料で全編公開されているので、興味ある方はぜひ。全編無料で公開される映画って普通ないと思う。短編映画なので30分程度でみれるから気軽に視聴できる点もおすすめだ。

 

狭山市の女子中学生4人が学校のプールに金魚400匹を放ったという実際の事件を題材にしている。4人の女子中学生と埼玉の狭山市の日常を非日常な事件を通して描いている。

 

映画ミーハーな自分はタランティーノ作品がとても好きで、そんなタランティーノを発掘した国際的映画祭で絶賛された映画というマーケティングにまんまと乗せられる形で興味をもったのだ。

感想①:こうなるぞ。でも、そこそこ幸せ〜。

ネタバレしない程度に記載するが、映画内で将来の4人がでてくるシーンがある。中年のおばさんになった4人が中学生の4人へいうセリフを一部抜粋。(*ちなみに、この中学生が登場する場所がまた良い。しがないイトーヨーカドー的な商業施設。まさに”THE 地方都市”。)

「抱かれろ!未来に抱かれろ!」

「未来のお前らです。」

「こうなるぞ。でも、そこそこ幸せ〜。」

パチンコばっかりやってるおばさん。5人子持ちのおばさん。シングルマザーのおばさん。公務員と不倫中のおばさん。

 

田舎出身だから良くわかる。田舎以外の生活をしてきたから多少分かる。田舎という金魚鉢の中ではそれが全てで当たり前。過度に外界に期待するわけでもないし、しない方が時に幸せだったりと。

否定するわけでもなく、悪いわけでもない。だって、幸せなのだ。そこそこ幸せなのだ。結局そうなのだ。結局、いつも結局なのだ。

感想②:劇中歌の「17才」について

”海”を”プール”へ、”2人”を”4人”へ

劇中歌の”17才”がとりわけ良い。どういう経緯で、どういう想いで映画を撮影したかはまだ調べてない。勝手な印象は曲中歌の「17才」。この詩からとびだしてきた生きた画。まさにそんな映画だった。

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(*17才 南沙織 歌詞情報 - 歌ネットモバイル)

”海” を”プール”へ。”2人”を”4人”へ 歌詞を読み替えてほしい。そんな映画だと思った。

個人的な趣味もあるが、南沙織森高千里銀杏BOYZ を載せおく。オリジナルは南沙織

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17才のあの音はまだ聞こえてるだろうか?

映画内で女子中学生4人がカラオケのソファに立ち上がって熱唱しているシーンがある。自分の17才の頃とシンクロする。田舎の古いカラオケで、10人は入れるくらいの部屋。前にはちょっとしたステージがあった。そこに男友達10人位で飛び跳ねながら熱唱していたあの頃を。当時のメンツから、ぴったり17才だったと思う。 高校2年生のあの頃をフラッシュバックした。

 

「この気持ってさ。大人になったら消えちゃうらしいよ。」

「へ〜」

「大人になったら聞こえなくなる虫よけモスキート音みたいにさ」

「ふ〜ん。」

 

17才のあの音はまだ聞こえてるだろうか?

狭山市の金魚達へ

金魚の”美しさ”というよりも、”生物としての違和感”が好きだ。自然の川や池はなぜだか似合わない。生物だから自然界に馴染むはずなのに、自然な生き物というよりもどこか人工的な違和感をもつ。 金魚鉢という人工的な世界が”似合ってしまう”。 

 

「大きな自然の中で生きていた方が気持ちが良いはずだろうに。」、「もっと色んな経験ができるだろうに。」と、勝手に思うけれど、生まれて死ぬまで金魚鉢の中で過ごす奴らにとっての真実かは不明なわけだ。

 

狭山市の4匹の金魚が外界をみた瞬間だったのかもしれない。 ”金魚をプールに解き放つ”という事件を題材にしながらも、狭山市という金魚鉢の中にいる4匹の金魚達(中学生)を描いた作品にしか見えてならない。そう、”金魚を解き放つ金魚鉢の金魚”の映画なのだ。

 

どこでもいい。何をしててもいい。あの4匹の金魚達が、結局、変わらずそこそこ幸せに生きている事を切に願う。

 

Maeda