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白黒写真が僕を好きな理由

撮りたかった写真 / Angkor

(”Angkor” @Siem Reap CambodiaYohei Maeda Photography)

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今でも忘れない。確かに撮ったのに”撮れていなかった”、撮りたかった写真。

 

カンボジアを訪れた時に視たあの光景は奇跡的なものだった。20代前半の若者であった自分の熱量に対して、一ノ瀬泰造氏が答えてくれたとさえ思った画だった。シャッターを切っていて興奮した自分がいるのを今でも鮮明に覚えている。(良い写真は撮影している時に分かる。その写真を今でも忘れない。)

撮りたかった写真

一ノ瀬泰造氏の墓石を背景に、水汲みバケツを2つ方からかけた棒に下げた小さな少女の姿。年頃にして8歳前後だろうか?カメラを見せて、「撮っても良い?」ってジェスチャーをしてみた。仕事(水汲み)に行く最中にも関わらず、ニコッと笑ってこちらに向かって静止してくれた。

 

彼女の数メートル後ろにはこの地で亡くなったとされる戦争写真家の一ノ瀬泰造氏の墓石。彼女が立つ位置が絶妙すぎて、彼女を真ん中に撮影するとその背景にぼやけた形で墓石が写る。そんな構図だったように記憶している。少女の屈託ない笑顔と、肩から下げた棒の両端から下がる水汲み2つのバケツ。全てがその場をその場所を明確に、そして的確に表現してくれる画だった。素晴らしい写真になる。そう確信して何枚もシャッターを切った。震えた。

 

一ノ瀬泰造氏は、戦争下の荒々しい写真を沢山収めている一方、休息時に訪れる各村々の子どもの写真も多く撮影している。村で出会う少年少女の屈託ない笑顔が彼のシャッターを切らせたのだろう。戦下の写真の合間に子どもの写真が混じっているフィルムを勝手ながら想像する。

 

しかし、旅を終えてフィルムを現像してみるとフィルムには画がほとんど残っていなかった。その少女の写真も撮れていなかったのだ。旅の後半からカメラが壊れていたらしい。どうやら、内部のシャッターがうまく開閉してなかったとのこと。後半に撮ったと思った写真はどれもフィルムには記録されていなかったのだ。自分がカメラ越しに捉えた画は、フィルムに記録される事なく、自分の記憶としてのみ残ったのだった。

沢山の中途半端な写真よりも、最高の一枚を撮りたい

あの時、あの瞬間、あの場所でみた画は、完璧に、完全にその彼が視た画であり、彼がとりたかった画であり、彼が出会わせてくれた画だった気がしてならないのだ。 

 

本当に撮りたかった写真の話だ。あのような心底震えるような瞬間に出会えたことが、今もまだ写真を撮り続けている理由の一つだろう。そんな”毒薬”を体験してしまった性ともでも言おうか。

 

あれを超える一枚を撮りたいと彷徨っている。

 

Maeda

※補足:一ノ瀬泰造氏について

一ノ瀬泰造氏は戦争写真家としてカンボジアで1973年に亡くなっている。20代で輝かしい写真を残して、シェムリアップのジャングルの中で亡くなったらしい。その亡くなっただろうとされている地域に墓石が建てられている。

 

以前、青森県立美術館で開催された「生誕80周年 澤田教一:故郷と戦場」へ訪れた時のグログでも少し触れているので、興味ある方はご参照あれ。

yoheimaeda.hatenablog.com