(”sea bathing” @Cebu Phillipines/ Yohei Maeda Photography)
奇跡のような喫茶店。
人生の面白さがふんだんに詰まった喫茶店を知っている。
もともと山奥で宿を旦那さんと一緒に営んでいた。その宿を受渡して始めたのがこの喫茶店だ。旦那さんは数年前になくなり、今は奥様一人で切り盛りしている。
店主奥様の手づくりのケーキ。
ハイセンスな欧米とアジアの調度品達
宿経営する20余年、ご主人が西洋から買い付けたカップアンドソーサーの数々。当時宿に出入りしていた芸術家の作品達が並んでいる。アメリカから取り寄せたステンドグラスも当たり前のように存在している。と思えば、座ってる椅子やテーブルは香港で作ってもらった家具達であり、建物も地元の建築家と香港で活躍するアメリカ人デザイナーが設計したものらしい。
西洋の洗練された風合いと、アジアの落ち着いた色味。音色は違えど、どちらも成熟された美しさと言う名の”品”をまとっており、それらが一つの空間でおりなすセンスという名の品は唯一無二な空気感を漂わせる。
ビートルズが描かれたwedgewood の限定カップアンドソーサーでコーヒーがでてきた。「若いから楽しいでしょ」と。訪れる度に違う器が出てくる。
脱サラから山奥での宿経営へ
オーナーの旦那さんは45歳の時に脱サラをして、山奥にペンション経営へと舵をきった。当時誰も知らないような場所だったが、地元の名士から「良い土地あるよ。」との話をもらい、その勢いそのままに宿を作って経営し始めた。
温泉が流れでる川があり、湯量は豊富な自然あふれる場所。温泉流れる川につかって夜空を眺めると、そこには今にもこぼれてこないかといわんばかりの大量の星があったと。泊まりに来るお客さんを連れてはそんな秘密の場所へ行ったりしたらしい。
手探り多き宿の立ち上げだったものの、料理も運営も夫婦それぞれ気持ちよく努力する事で多くの常連が通い始める事となる。東京、大阪の超大手企業の重役家族がお忍びで。はたまた、様々な芸術家が創作意欲湧く”ねぐら”として長期滞在する宿となっていった。岐阜公園内に記念美術館がある加藤東一先生もその一人だったらしい。また、ガラス工芸をつくる小谷真三先生もこの場所が好きでガラス工房をとなりに作るほどのお気に入りだったらしい。
そんな当時訪れてきていた芸術家達の作品も店内を彩っているのだ。
加藤東一先生の絵画。
小谷真三先生の作品。
喫茶店建設時、アメリカで骨董商をしてる友人から素敵なステンドグラスがあると連絡がくる。そのステンドグラスを設えるためにと、窓も完成させずに待った。ステンドグラスと一緒にコンテナで届いた西洋の品物達。店先のランプと鉢植えもその一つとして今も現役で活躍中だ。
宿経営から地元で喫茶店をつくることに
宿経営がうまくいっている最中、またまた突如として地元の町へと夫婦で帰ってくる決断をする。元気なうちに引き継ぐべきだとのご主人独断の決断だったとのこと。宿は当時手伝ってくれていた若者へ引き継いだ。ご主人が72歳の頃だった。
「年齢が一回り下の奥さんが自分が居なくなっても楽しめる喫茶店でもあればいいんじゃないか。」くらいの話から、都会すぎず、自然の綺麗な静かな場所を不動産屋さんに探してもらう。
目の前に咲く桜並木が決めてだったとのこと。店舗は地元の建築家にデザインしてもらいつつも、香港在住の有名アメリカ人デザイナーに監修してもらった。良きものへせんとのこだわりから、当初予定してなかった部屋や階段が追加され、あれよあれよと想定を遥かに超えた大きなお家が出来上がっていった。
人生の喫茶店、欧亜
アジアから調達した家具達と、欧米の調度品で飾られた店。欧亜。(名前も秀逸すぎる。)夫との思い出という名のプライスレスな存在なのだ。”良いもの”とは人の生きざまが寄り添っているんだなと改めて感じる、そんな空間だ。
奥様の、奥様とご主人の生き様が一つ一つに詰まった人生の喫茶店。
Maeda