TWO BOOKS

白黒写真が僕を好きな理由

”2019年撮ってよかったもの” を書く / Syateki

(”Syateki” @Tottori JapanYohei Maeda Photography)

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的を射ると書いて射的と読む。ふむふむ。令和という新時代に、古びた温泉街に現れた平成よりも更に前、昭和感たっぷりな風情の射的屋さん。店の風景もさることながら、「射的」という文字に惹かれた。的を射る。そんな感覚で自分は写真を切り取る。写真に似ているなーと思ったからだ。

 

(”experiment” @Gifu JapanYohei Maeda Photography)

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岐阜でみる桜はいつ以来だろう?桜の咲く季節に故郷にいることはここ数年ない。平成とともに開業した父は、その平成の終焉とともに承継した。そのお疲れ様&お祝いのために、家族で集まったのだ。縁日のために吊るされた電線と電球、それに添えるように咲いた桜が祝儀袋の帯ようにみえた。平成という時代とともに生きた侍とその関係者、またその家族に幸あれ。

 

 (”fish in the dark” @Gifu JapanYohei Maeda Photography)

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映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の感想として、救いようのない映画で、テンションが下がる。暗い気持ちになる。というよく聞くコメントがある。水族館でみる魚はそれに近い。日本最大の水族館なんて、自然の大きさに比べたら至極小さくて、そんな中で自由に泳ぎ回る魚の魚生(※人生って書こうとしたけど、人でないなと思ったので造語。)ってなんなんだろうなと。ライトに照らされアマゾンっぽい植物に囲われて、温度管理も徹底されたその中で泳ぐ彼らはまさにこんな感じに映った。

 

 (”kanki” @Tokyo JapanYohei Maeda Photography) 

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また一人甥っ子が増えた。弟夫妻の子供が二人いるので、既に甥っ子姪っ子はいた。今年はついに兄夫妻にも子供が生まれたわけだ。生まれたばかりで病院にいる、自分にとって3人めの甥っ子に対面した。眉間にシワを寄せた頑固そうな表情に、ウケるなーなんて思いながらも、そんな動き回る新たな生き物を、皆嬉しそうに眺めている。多少こなれたように抱きかかえる兄が父になるんだなぁ。こうやって皆親になっていくのだなぁ。満面の笑顔で抱く兄という新米父の写真。

 

 (”A” @Nara JapanYohei Maeda Photography) 

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アラーキーの「センチメンタルな旅・冬の旅 」を池袋のジュンク堂書店で立ち読みした時の衝撃は今でも覚えている。電撃ネットワークの南部さんのような風貌で、性やら生やらの写真を撮っている人という認識からの差分よ。「画だよ、結局写真家が追求すべきは」と、構図や画力にしか興味がなかった自分だけれど、自分勝手な自分の物語にシャッターを切り始めているなと気づきだす。10数年取り続けてきての変化に気づく。シャッターを切るという意思という名の事実を直視しながら、自身の変化を客観的に思い知らされる日々だ。

 

 (”butterfly” @Gifu JapanYohei Maeda Photography) 

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花なんて、そもそも綺麗なものを撮ってどうすんだ。そんな写真を毛嫌いしていた自分が花や蝶を撮る。昔よく3兄弟で遊んだ畑で育てられていた花。カメラをもって甥っ子に自転車を教える。そこでみた花と集う蝶々。3人兄弟も大人になりそれぞれ生きている。3匹が畑から飛び立つそれに重なる。セミも蝶もいたずらに採った子供時代の欲求は一体なんだったんだろうと思う。歳をとるというのも悪くない。

 

  (”the shining” @Gifu JapanYohei Maeda Photography) 

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神社に敷き詰められた小石の中に留められたボルト。太陽の光にひっそりと自己主張しているその様にシャッターを切る。なんでもない中にある何かを画にする面白さを見いだせる自分は2019年もまだいるんだとホッとする。

 

  (”chaos2” @Tottori JapanYohei Maeda Photography) 

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死骸は強い。表現が適切かどうかは定かでないが、なにかの死骸は興味深い。シャッターを切りがちな自分がいる。その物語を表現したいとかそういう表現というやらよりも、それを物撮りにせんとする自分がいる。波打ち際に打ち上げられたスーパーの半額シールと真っ赤なボールと魚の死骸とゴミたち。自然のカオスに画を観る感動が楽しいのだ。

 

(”ayane lying down” @Gifu JapanYohei Maeda Photography)

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子供は面白い。どこでも自分の感情に素直にふてくされる。自由でいい。そんなふてくされまくっている孫を怒るでもなく、適当な距離感で見つめる祖父母に年の功という言葉をおもう。時間という名の熟成をおもう。誰しもそんな子供時代を経て、そんな子供を育てあげ、そんな自分の子供が子供を育てる様をみる。そうやって人間の器は熟成されていくのかもしれない。道端で駄々をこねる絢音もそんな時代がいずれ来るのかなあと思いながら。

 

(”genkan flower” @Gifu JapanYohei Maeda Photography)

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イカの破壊力に息を呑む。黒い写真が好きだった。暗部でも詳細情報がぎりぎり残る。そんな繊細な表現が好きだった。モノクロ写真という言葉よりも、白黒写真という言葉がしっくりくると思っている。なんでもない日常も、写真があれば常に美しい。

 

(”otowayama” @Nara JapanYohei Maeda Photography)

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写真を見返すと正面の写真よりも後ろ姿や横顔の写真が多い。被写体が撮られていることを意識している様子よりも、あくまで自然の中にある人という画に興味があるのだと思う。良い写真というのは平面の中に空気感がある。空気を感じる一枚。

 

 (”syateki2” @Tottori JapanYohei Maeda Photography)

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冒頭の写真の店の外観。あまりにビビットな色合いの面構えに、自然とカラーネガを装填した中判カメラを手にとった。令和の時代に映える昭和なお店。時代という名の時間がその独特な世界観を醸し出す。

 

 (”sota and cherryblossoms” @Gifu JapanYohei Maeda Photography)

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おじいちゃんとおばあちゃんが盆栽教室で桜の苗木を植えてきた。どちらの苗木の成長の方が早いか遅いかだと言い合って、仲睦まじくやっている。その苗木についた虫を眺めている甥っ子。幸せの形はわからないが、人と人の間にあると思っている。桜もソウタも"らしく"育ってくれればそれでいいと思っている。

 

仕事に心をもっていかれていた一年だった。自身の変化や覚悟を求められた一年だった。時間的な拘束ではない、ついつい考えてしまうという点で、頭の中心がそのことになっていたと振り返る一年だった。それはそれで意味がある。そういう年があってもいい。

 

他方、近場の暗室に出会ってから、撮りためたフィルムを少しずつ焼き始めている。改めて焼きまで完遂した写真は美しいなぁと感動する。これが自分の写真だと再認識する。

 

淡々と自分なりに撮り続けていく。2020年も良き写真に出会えるように。

 

Maeda

今週のお題「2020年の抱負」