TWO BOOKS

白黒写真が僕を好きな理由

決めること。断つこと。/ Yuske&Kunie

  (”Yuske&Kunie” @Gifu JapanYohei Maeda Photography)

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人が息を引きとる瞬間に立ち会ったことはあるだろうか?

もっというと、人の人生における最後の一呼吸を見たことがあるだろうか?

 

私はある。

 

今年の2月に祖母が亡くなった。大学進学までずっと一緒に住んでいた祖母だった。その祖母の最後の一息を私は家族の誰よりも一番近くで居合わせた。真隣で私が見つめている最中に祖母は逝った。 

最後の一息。1人の人生の最後の瞬間に想う

東京に住む私は、母からのメールで岐阜へ戻った。認知症を患っており、数年前から介護施設で生活をしていた祖母だったが、一週間程前からいよいよ体調が悪くて飯も喉を通らない状態との事だった。医者からは、先は短く数日から数週間だろうと。

 

母から連絡で、土曜日の夕方に実家に戻った。ちょうど父と兄は祖母のいる施設にいて、母は家で夕飯の支度をしていた。私が実家に着くと、兄と父は一旦帰宅し、今度は私と父が祖母の元へ戻った。弟は岐阜で仕事をしているため、兄と私の交代の際にも祖母のもとで待機していた。私が祖母の部屋に着くと、意識も無く、息をしているだけの祖母の姿がそこにはあった。私が近づき、「おばあちゃん。」と、約30年間呼んできたそれと同じように声をかけても、返答はなかった。認知症になっても、癌が見つかっても、食だけは太く、とにかくご飯をよく食べていたおばあちゃん。施設に入所してからむしろ太ったんじゃないかという位だったが、そこにいた祖母は明らかに痩せてた。いよいよその時が近いんだなと瞬時に悟った。祖母のベッドの脇でじっと祖母を見つめながら、そして、最後の写真と確信して、持ってきたフィルムをカメラに入れ写真を撮りながら話かけ続けていた。いろんな角度から写真を撮った。不謹慎だとは思わなかった。今まで撮り続けたように、今までこの日が来る事を恐れるように撮り続けたのと同じように、シャッターを切った。

数十枚の写真を撮り、ベッドの横の椅子に腰かけ、祖母の枕元で顔を真横から眺めていた。祖母の顔の向こうには、今晩は祖母の部屋で一緒に泊まるために施設の人と調整している父、その横で話を聞いている弟。一定のリズムで呼吸をする祖母の呼吸が少しずつ長くなっている、そんな気がした。錯覚かと思い始めた瞬間、明らかに長い一呼吸があった。そして一瞬苦しそうに表情をしかめたかと思うと、すーっと穏やかな顔に戻った。一つ違ったの事といえば、その後呼吸をすることは二度となかったという事だけだろう。「おばあちゃん!」の私の声に父と弟も交じり、一緒に呼びかけ続けた。私と父と弟の呼びかけに応じることなく、施設の方と、医者がかけつけ、死亡診断が下った。

真横で、最後の呼吸をみて、最後の一瞬の苦しそうな顔を目撃して、その後の安らかな顔まで見とった。祖母の、1人の人の本当に最後一呼吸、人生の最後の瞬間を見た。 

決めること。断つこと。

世の中でもっとも価値あるものとはなんだろう?

お金?家?家族?友人?etc.. 色々な答えが返ってきそうだ。

 

結局“時間“なんだと私は思う。

人は“時間”に価値を見出さない。当たり前にあり過ぎて“見出だせない”。生まれた時に既にあって、幸せなときも辛い時も均等のスピードで流れ続けているもの。働いている時も、寝ている時も。最後の一息を吸うその時までずっと当たり前にあるもの。

 

もしも“時間”が最も大事なものであるという事実に気づいたならば、決めること。またそのために断つことはそれほど難しくないような気がする。やりたくないこと、つまらないこと、自分の意思にそぐわない事に費やす時間のもったいなさを憂うだろう。時間に価値を見出すことは、決めること、断つことを後押しする。決めたら、断ったら、あとは全力で実行する。

 

今回の出張で気づいた、今の自分にかけていることをメモがてら記載しておこうと思う。

 

決断しよう。

 

Maeda