TWO BOOKS

白黒写真が僕を好きな理由

”撮れた”と”撮った”の違いはMr.釣りどれんから学んだという話 / relationship

(”relationship” @somewhere Spain / Yohei Maeda Photography )   

f:id:yonpei704:20090313082143j:plain

「"釣れた"ではなく、"釣った"。」 by Mr.釣りどれん
 
あの漫画の言葉を思い出す。小学校高学年の頃ブラックバス釣りにはまっていた。毎日学校から帰ると友達と自転車に乗って、行きつけのポイントへ向かった。残念ながら、岐阜の片田舎の川では琵琶湖のようなバス釣りメッカがあるわけではなく、ほとんど釣れることはなかった。それでも、狂ったように通い続けていたのは、ブラックバス釣りが楽しかったのは、きっとあの体験がキッカケだったと思う。
 
まだバス釣りをはじめて間もない頃、友達のお父さんが三ツ池とよばれる地域では有名な釣りスポットへ連れて行ってくれた。その池は学校帰りに集まる近所の川とは違い、釣れそうなオーラが漂っていた事を鮮明に覚えている。池には水量を調節するための門があり、そのすぐ隣には水中へと続く階段があった。その階段横のくぼみへと糸を垂らし、下から一段ずつその階段の端と段差の間に出来る”くぼみ”を下から順に上下しながらしゃくっていった。階段の形状を想像しながら狙っていった。3段目位階段を登ったとき、約35cm位のブラックバスが釣れた。
 
階段の隙間・形状を想像した。魚の隠れていそうな場所を思い浮かべた。それらを狙いやすい用にヘッドにオモリのついた針を使った。おそらく大物はいないとの読みをたてて小さめのグラブワームを使った。濁っていたからよく目立つようびショッキングピンクのワームを選んだ。全てが自分の”読み”通りだった。”釣れた”ではなく、”釣った”を実感した釣りだった。ああ、Mr.釣りどれんのことだ。と漫画と体験がリンクした。
 
距離を繋げて間をなくす。時間を合わせて間をつくる。
そうじゃないだろという声もあるのは承知の上で書いていてみます。
 
個人的には一目でみた瞬間に"意図"を感じる写真、撮り手がこれだ!とゾクッとした感覚と共に撮られた写真こそ写真家の写真だと定義しています。
 
停車している車、反対車線に停車している車、その先を歩く人、その奥の壁。手前、ちょっと先、もっと先、そのまた先。全ての距離的”間”と、タイミングという時間的”間”、それらを世界で唯一そのタイミング、その場に自分がいて、かつ、写真を撮ろうとしていないと撮れない一枚。そして、それを撮ろうとして"撮った"一枚。そういう意図的な写真に、撮影する者の意思であり、センスが現れるから価値がある。そんな事をつたない英語で教授に熱く力説していた自分を思いだす。小学生の時に三ツ池で体感したMr.釣りどれんの言葉と同じような感覚。あの漫画の言葉を思い出す。
 
僕がスペインで"撮った"写真。
 
Maeda