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白黒写真が僕を好きな理由

モノクロフィルム写真好きの皆さんには、Netflixの『ROMA/ローマ』を観て欲しいのだ / self-portrait3

(”self-portrait3” @Gifu Japan Yohei Maeda Photography)

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全モノクロフィルム写真好きの皆さん、Netflix配信のROMA/ローマを観てほしい。

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全編モノクロ。華美な挿入歌とかそういった類のものはなく、自然な音、自然な長回し、自然な演技。日々の美しさを映画という画角撮りっぱなした”RAWな映画”。

 

華美に誇張された表現というか、Photoshopで調整された世界観というか、そういう派手さではなく、洗練された画像と構図の中に終始私的な詩がずっと低音で流れている。そんな感覚を受けるのだ。 

 

ちなみに、おすすめするのは白黒/モノクロだからではない。

素、自分と向き合っているパーソナルな底。それを生で出す。それが放つトコに”美”は存在する。蚕の繭が美しいシルクになるような、自然物が発する創造物とでも言おうか。

モノクロフィルムって、そういう素への向き合いを丁寧に表現してくれる手法だと思っているからだ。モノクロフィルム好きはそういう共感値が高い人だと思うからだ。この映画はそういうシルクみたいな映画だと思うからだ。

 

前作『ゼロ・グラビティ』でアカデミー監督賞を受賞したアルフォンソ・キュアロンが、5年ぶりに撮ったのがこの「ROMA/ローマ」だ。

キュアロン監督のインタビュー。この映画がなぜこういう”RAW現像”撮りっぱなしのような錯覚を感じるのか、創り手としての理由がここにある気がする。

※一応、作品としてのネタバレにはなりません。

www.youtube.com

”脚本完成までにいろんな工程があった。それらをメモして脚本に詰め込んでいく。そのアイディアをそのままにしておきたかった。もし友人の著名な監督や自分の弟に脚本の相談をしていたらストーリーやキャラクタの関係性について素晴らしいアイディアをもらえたと思う。ただ、そうした場合脚本が不自然になるかもしれないと思ったんだ。自分一人で書き上げたのは今回だけだよ。”

”まずソファーに寝そべって何年かかけてメモを取る必要があった。そうすれば自分と向き合える気がしたんだ。この『ROMA/ローマ』は2年以上かけて自らの過去を振り返らなくてはならない作品だった。

ある特定の過去まで遡るんだ。家族にとってカタルシスを感じる瞬間だ。”

つまり、キャロン監督の私的な”歪さ”がROMAなのだ。いびつで私的な繊細さがこの映画の美しさの根源として存在しているのだ。

 

自分の底の底へと潜るダイビング。モノクロという表現。一つ一つ丁寧に、繊細に切り取られていく世界は当たり前に美しく映える。(美しく)映えた画が、すなわち映画なのだ。

底が深いから良い作品になるのだ。私的だから想いがあるから大切に撮るのだ。結局は撮ったものが作品ではなく、自分が作品になっていくのだ。不思議なものだ。

 

Maeda

※余談

Netflix問題としての『ROMA/ローマ』。劇場公開とストリーミングプラットフォームとの間で起きていること。良い作品を創れる環境の提供とそれが観たい人が見れる自由の提供。適切な形を望みたい。

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