(”Shishamo” @Hakone Japan / Yohei Maeda Photography)
胡散臭い映画監督のような雰囲気をかも出しだすこの青年こそ、自分の周囲の中で最も創造的な人間だろう。
自身を”小森山ドブネズミししゃも太郎Jr.三世”と呼び、海のない山に囲まれた岐阜を生息地としている。日々創作活動に明け暮れる友人。箱根へ旅した際にプラウベルで撮った一枚。
小学一年生の頃からの親友であり、帰宅方向が同じだったからという他愛もない理由で仲良くなった。一緒に帰りながら色々な話をしたものだ。
高校くらいの時から、家に遊びに来る度に、私の机を占拠して紙とペンを勝手に使い漫画を書き出す。ものの数十分で描き上げてから会話が始まる。とても不思議な人間である。
そんな彼の漫画が人知れず実家の部屋に保管してある。改めて感じるその才能をここに解き放つことにする。
個々の街
カン
ウグイス
カニの話
社会の仕組みという名の”世の中”を知れば知るほど、TVや雑誌にでる有名人という人達は“有名人‘であるという事実を理解してくる。有名人は作られる。「資本主義という社会基盤が根底にあるからだよ。」なんていう、とうの昔に焦げ冷えた言い訳はいらない。
センスや才能は何処へ
センスという塊は、一体どこに昇華されるべきか。インターネットが登場して、個の時代だと叫ばれる昨今だが、マスメディアの力は偉大で絶大だ。才能という名の呪いは依然として世の中の吹き溜まりのように、どこかにひっそりと漂っている。
実家のファイルの中で漂っている位ならば、いっそインターネットの吹き溜まりの何処かで漂っていてくれよと、ここらで放流しようと思うのだった。
センスなんていう言葉よ、成仏したまえ。
Maeda