TWO BOOKS

白黒写真が僕を好きな理由

OTOUSANは世界で一番背の高い人 / once in a summer

(”once in a summer” @Gifu JapanYohei Maeda Photography )  

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2020年6月21日(日)は父の日らしい。ブログにすることで、夏の思い出という名の父への感謝を綴ってみる。 

夏休みは車で下呂温泉へいく。帰りには、山間に流れる川を整えた、ほぼ自然そのままのニジマス釣り場に寄ってから帰る。これがうちの夏休みの恒例行事だった。

自分が夏が好きな理由であり、海より川が好きな理由であり、今でも青々した緑と夏の高い空の下で流れる小さな川を見る度に、飛び込みたくなる理由なのだ。

幼き頃の経験から、脈々と染み込まれた衝動なのだといつも思う。

yoheimaeda.hatenablog.com

嘘でも誇張でもなく、小さな頃は、この車で向かう下呂温泉こそが世界で一番遠い場所だと思っていた。ドライブスルーに立ち止まったりしながら、ゆっくり向かった約2時間の道のりこそが、楽しくて永遠に続くような時間だったのだ。それと同じように、父親が世界で一番背が高くて、力のある人だと思っていた。冷静に考えればもっと遠い場所にも連れて行ってもらっていたし、父より大きな人とも何度もすれ違っていたはずなのに。

大人になった今、そんな話をすると父は「そうか、そうか。」と言いながらニコニコ笑う。

 

今では、自分で車を運転して行けるし、自分でお金を払って泊まることもできる。自分で圧倒的に遠い海外へもいける。自分の方が高いとこへも手が届くし、重いものも動かせる。

それでも、あの幼き頃の感覚はふとした時に戻ってくる。大人になると見えなくなる座敷わらしかのごとく、居ないようででそこには居る。昔ほど鮮明に見えないけれど、日に日に薄れていくけれど、あの、”お父さんは世界で一番背の高い人”という感覚は、大人の自分をすっと横切るのだ。

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こうやって大きくしてもらった今に、父に、感謝なのだ。

そんな思い出を、父の日に贈ってみるのだ。

 

Maeda

今週のお題「お父さん」 

ダイバーシティと魔女と写真 / a hair

 (”a hair” @somewhere USAYohei Maeda Photography)

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20歳の頃、本気で写真を撮ろうと飛び乗ったアメリカの長距離バス。国土面積の広いアメリカの都市間は、日本とは比較にならない位ただひたすらに遠い。都市は長距離バスで繋がれており、もちろん電車もあるが網目の細かさという意味ではバスの方が柔軟性が高かった。

yoheimaeda.hatenablog.com

バス内は、今風に言うところのダイバーシティ。日本人がダイバーシティだと連呼すればするほど残念に思えてくるほどに、アメリカはダイバーシティが当たり前に転がっている。テレビで目にするハリウッド的な小綺麗な白人はいないのだが、黒人、スパニッシュ、アジア人、また、明らかにお金なさそうな白人たち。その人種という縦軸に加えて、若者、老人という年齢という名の横軸も実に幅広いのだ。更には、貧富という名の深さ軸も加わるのがここアメリカなのだろう。この縦・横・深さの3軸をかけ合わせた”体積”こそ、”ダイバーシティのそれ”なんだろうなと実感した。

そのダイバーシティという体積をさらに広げんと、当時20歳のアジア人の若者はそこにいた。

 

とあるバス停で、完璧に真っ白な白髪ロングヘアーの老婆が乗車してきた。髪色とは対象的な全身真っ黒の服装。まさに白雪姫に毒リンゴをあげた魔女というイメージがぴったりな白人老婆。その容姿に驚いたと共に、その様をまじまじと見ないバス内のダイバーシティピーポー達。一人の乗客として受け入れ、少しも特別なリアクションをしない彼らの様子に、アメリカ的ダイバーシティの底知れぬ大きさを学んだ。

 

魔女は、ほぼだれも降りなかったバス停で降りて消えていった。荷物置きに、一本の真っ白な髪の毛を残して。

 

そのときの写真。

 

Maeda

お題「#おうち時間」を潰すために写真整理していたらでてきた思い出の写真。写真整理とその思い出をブログに綴るという、おうち時間の潰し方。オススメ。

ランニングスナップ撮影をするならティーアールベルト(THE NORTH FACE)の一択説 / penguins

(”penguins” @Gifu JapanYohei Maeda Photography)

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ランニングしていて、『ああここでカメラもってたらなあ。。』と思う瞬間に遭遇したという経験はないだろうか? ”カメラをもって来なかったことへの残念感”とでもいおうか。可能な限り持ち歩きしたいが、どうしても持っていけない時、また、持っていかないと決断した後での、撮影タイミングに遭遇した際の後悔。。。おそらく写真を撮る人なら分かってくれるだろう。自分の場合、ランニングの時がまさにそうだった。

見知らぬ路地裏を走る最近、この残念感を拭う良い方法を見出した。そう、これらを解決する最高のご提案を本日はしたい。STAYHOMEな昨今、ご参考になれば幸いだ。

(※平日も、休日も、一日に出会う人数の8割減、いや、9割減は確実に徹底しています。誤解なきようご理解ください。)

正直、ランニングスナップ撮影にはティーアールベルトさえあればいい

ランニングスナップ撮影を実現させてくれた功労プロダクトはこれ。走っていてもカメラは安定していて気にならないし、コルセットのようなマジック仕様で脱着やカメラ出し入れも容易。色々調べた結果Amazonで30%OFFだったので購入したのだが、心底買ってよかった。過去購入したTHE NORTH FACE商品の中で自分的一番。おすすめしたい以上におすすめしたい。

THE NORTH FACE(ザ・ノース・フェイス)
[ザ・ノース・フェイス] ウエストバッグ ティーアールベルト WF

カメラは前にも紹介した通りで、GR1が個人的至高。ライカも全然可能。ランニングという観点もあるので、できれば小さい、軽いに越したことはない。そういう意味での個人的オススメはGR。

yoheimaeda.hatenablog.com

 GR1sなんて楽々収納。ちなみにこのメインポケットには、ライカも入る。

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左サイドポケットは、伸縮性の素材。入れようと思えばまだまだ入る。個人的にはここが予備フィルム入れ。だいたい2〜3本程度入れて走るのが心地良い。
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左側イメージはこんな感。すぐに充填できるような位置にフィルム。カメラは走っている最中はもちろんかばんの中だが、撮影モードになればポケットから右手へ。
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で、右側ポケットには携帯電話。携帯はランニングしてても必須。主に音楽を聞きながら走るためだが、時にはお財布として利用。最近自販機も随分オンライン決済対応してきており、人に合わずに自動販売機で水分補給できて良い。アップルウォッチをもっている人は不要なのかもしれないが。
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右側はこんなイメージ。
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結果、全体(左、中央、右ポケット)はこんな収納イメージとなる。正直まだまだ余裕がある。メインポケットには薄手のウインドブレイカーもGRならば一緒に収納可能。大きさ、3つのポケットという設計が『ランニングスナップ撮影』に素晴らしくちょうど良い。
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ランニングだけでなく、普通にこのかばんはスナップ撮影Loverには最高だと思う。コルセットのような役割も果たしてくれ、走る時や歩く時の姿勢を矯正してくれもする。自分はTシャツの上に腹巻きのように巻く。ランニングスタイルとして違和感ないが、普段利用ならばTシャツや上着を上から被せればかばんすらも隠れていいのだろう。どちらもいける。

 カメラのためだけにリュックを持ち歩く必要がなくなる、最高なプロダクトだと関心しているのだ。コロナが収束したあと、このかばんを忍ばせて旅にもでてみたい。

ランニング+スナップ写真撮影。ランニングスナップ撮影の世界感

街も裏側?普段訪れる駅周辺ではない街は人気もなくちがった世界がひろがっている。大変おもしろい。
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池袋の裏?にあった森。。こんな森が都会にあるなんてまったく知らなかった 。というか、平時だったら絶対出会うことなかった。都会のオアシスというほど小綺麗ではないが、田舎出身の自分にとっては心地良い有り体な自然。

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見えるだろうか??大量のおたまじゃくし達。こんな大量にみたのは人生一。まさか東京はこんな街中で遭遇するなんて、誰が想像できたか。
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完全にランニングスタイル+GR。フィルムカメラを保持しながら走っている。
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帰り道にふとみつけたお豆腐屋さん。おばあちゃんがお稲荷さんをテイクアウト販売していたので買った。まったく知らない路地裏にあった。こういうまだ知らないお店に出会えることも楽しい。
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KEEP STAY HOME, KEEP YOUR HEALTY LIFE

STAYHOMEは徹底しよう。しかしながら、健康維持には、体を動かすことと共に、人間らしい営みを維持することが必要だと思っている。だとすれば、写真撮影は個人的必須事項。可能な限り外出頻度を減らしつつ、健康的に体を動かしながら写真撮影をする。

 

STAY HOME。あの頃はあんな言葉あったね〜。なんて、そんな風に今の状況を笑って振りかえる日々を願って。 

 

Maeda

  

お題「#おうち時間

お題「リラックス法」

お題「これ買いました」

お題「気分転換」

 

伊丹十三という粋 / a day2

 (”a day2” @Tokyo JapanYohei Maeda Photography)

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伊丹十三という人物を彼が生きているときに、リアルタイムで興味をもっていたわけではない。「伊丹十三」という名前も、彼が映画監督であり、「〜の女」って映画が金曜ロードショーで昔やってたなあ、という程度だった。

1933年生まれ。映画監督、俳優、エッセイスト、テレビマン、CM作家、商業デザイナーなど、興味のおもむくままに様々な分野の職業に分け入り、多彩な才能を発揮。翻訳も多数手がけた。1997年没。

そう、彼は映画監督である前に、エッセイストであり、テレビマンであり、CM作家であり、商業デザイナーなのだ。多彩な才能を持っていたということが、この個々でも憧れられそうな洒落た肩書達からも垣間見れる。

きっかけは喫茶店で出会った雑誌ケトルVOL.47から

そう、出会いは偶然。喫茶店にあった雑誌ケトル(伊丹十三特集)を読んで、興味を持ったのだった。

※今回紹介した本/雑誌の中でもっとも気軽に読める伊丹十三本だろう。そもそもどんな人なんだ?から理解したい、コーヒーと一緒に気軽に読みたい、という方にはこれをオススメする。

ケトルVOL.47 (日本語) 単行本 – 2019/2/15
伊丹 十三 (著), 内田 樹 (著), 周防 正行 (著), 堀部 篤史 (著), 宮本 信子 (著)
 

伊丹十三という人物がわかる作品

伊丹十三面白いなー、と思い、そのまま喫茶店スマホをたたいた。Amazonで一冊のエッセイを購入した。挿絵とタイトルに惹かれて選んだのは、『ヨーロッパ退屈日記』だった。前にも書いた自分の人生の先輩だと思っている相場さんも、若かれし頃にはヨーロッパに影響を受けていた。この世代の方々にとってのヨーロッパには、やはり何かあったのだろうと思っていたからだ。審美眼を持っている人には、共通項がある。

yoheimaeda.hatenablog.com

彼の本を読み終えて、ああ、この人はセンスの塊なんだろうなあと悟った。文章しかり、そこにある自前の挿絵しかり、ものごとの捉え方であり。。そこから伊丹十三という人物に本格的に興味を持ち始めたのだった。

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 2005/3/2 伊丹 十三 (著)

 

その後、立て続けに追加で下記2冊を購入した。まずは、エッセイとして評判が高かったもう一冊。Amazonの画像上からも見えた、『真っ当な大人になるにはどうしたらいいの?マッチの点け方から、恋愛術までー。正しく美しい答えはこの一冊のなかに。』という帯にやられた。”正しい”答えというのはわかる、けど、”美しい答え”というのがいかにも伊丹十三らしいと、勝手ながら思ったのだった。

女たちよ! (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 2005/3/2 伊丹 十三 (著)

 

もしかしたら、伊丹十三という人物を知りたい人には下記がおすすめかもしれない。最初からエッセイという彼の作品というよりも、体系的に伊丹十三という人となりを理解できる。まあ、本の名前どおりである。どんな人物だったのかを知った上でエッセイを読んでみると、その挿絵やこだわりや文章がまた一味違って見えてくるかもしれない。

伊丹十三の本 (日本語) 単行本 – 2005/4/21「考える人」編集部

伊丹十三という名の粋(イキ)

結局、伊丹十三という人物が粋なんだなあと思うのだ。かっこいい人というのはこういう人であり、センスが良いというのはこういうことであり、歳を重ねるとはこういう気づきを重ねていくことなんだろうなあと理解する。

 

同時に、『審美眼』という言葉を反芻する。写真を撮っていても強く思うのだが、視える人には視えるし、視えない人には視えない。これは、きっと森羅万象、世の中のすべての事象や、モノやコト、そんな全てに当てはまるのだろうと思う。伊丹十三はもの、こと、所作に至るまで、審美眼という名のコダワリを、エッセイや挿絵や映画を通して世の人たちにお裾分けしてくれているのだ。

 

こんな魅力的な大人に、コダワリのある大人に、視える大人になりたいものだと憧れながら記してみた。

 

Maeda

 

※もちろん、映画もオススメ。個人的にはお葬式が好き。彼の自宅(別荘?)で撮られた作品の中にある創意工夫が好き。予算がハリウッドと比して〜とかっていう言い訳ではなく、良いものは良い。そういう創り手の意気込み、創意工夫がある作品が好きなのかもしれない。 

お葬式<Blu-ray>
山崎努 (出演), 宮本信子 (出演), 伊丹十三 (監督) 形式: Blu-ray

 

10年以上前の留学中に、アメリカ人の友人からこの動画をみせられて、このラーメンを食べたい。と言われたことを思い出す。醤油ラーメンこそ至極。

タンポポ<Blu-ray>
山崎努 (出演), 宮本信子 (出演), 伊丹十三 (監督) 形式: Blu-ray

 

ハマった人はこちら。自宅待機が続くご時世。結局全部見ればいいと思う。 

伊丹十三 FILM COLLECTION Blu-ray BOX Ⅰ
宮本信子 (出演), 山崎努 (出演), 伊丹十三 (監督) 形式: Blu-ray

 

 

お題「好きな作家」

お題「マイブーム」

 

奈良原一高という写真家が教えてくれる不条理な世界の歩き方 / start the day

(”start the day” @somewhere SpainYohei Maeda Photography)

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日曜の朝。ふとテレビをつけると始まった日曜美術。奈良原一高という写真家の再放送の回だった。

www4.nhk.or.jp

日曜美術は面白い。観るぞ!と思って毎回見るほど視聴意欲が強いわけではなく、何も予定のない瞬間にテレビから流れる芸術家達の”人生(こだわり)”が自分の感性を呼び戻してくれる。それが小気味良い。

奈良原一高という写真家

お恥ずかしながら奈良原一高という写真家を存じ上げていなかった。しかしながら、軍艦島の人々を絵画的に写した写真。また、規律が支配する世界の中にある静かなドラマを芸術的に、主観的に切り取る姿勢に個人的に共感した。

 

わからないことが大事である、わからないということがいい。という問いかけ。見る人に問いかけてくる詩のような作品。多用な解釈にとれる写真。これまで報道によってきた写真を芸術へと変化させた写真家と評される。

 

具体的な土地や明確な主題をもった写真を撮る土門拳が、『人間を阻害している、阻害しっぱなしではだめだ。』と高原を非難していたらしいが、高原は詩をつくるように自分のコンセプトを構築するように写真を撮る。『生きることのたくましさ。そのたくましさを超えている。』と表現していたらしいが、二人の写真家の差分は大変興味深い。

 

その場所、人を否定しない。そのものをフィルターをかけずに撮る。絵画的な写真世界を構築し、規律が支配する世界の中にある静かなドラマ(ノンフィクション)を描く様に筋を感じるのだ。

HUMAN LAND 人間の土地 (英語) 大型本 – 2017/8/18 奈良原 一高 (著)

無国籍地。原点の作品。

無国籍地。原点の作品。大学院で美術史を学んでいた奈良原が軍需工場跡地に偶然出会い、その時持っていたカメラで切り取った写真。その作品達。

www.youtube.com

1931年生まれ。幼少期は長崎で過ごす。父は検事で何不自由なく大きくなった。戦争になる際ですらそれは変わらなかった。12歳になると父の転勤で愛知へ引っ越して、学徒動員で軍需工場で働き始めた。そこで悲劇が起きる。工場を襲った激しい空襲で友人たちを失った。13歳で終戦。心の拠りどころになったのは美術だった。

 

不条理な社会。

自分も何かを表現したい。そんなときに出会ったのが、すでに廃墟となった軍需工場だった。設備がなくなりぽっかりと穴のあいた床。空虚な空間。報道ではなく、芸術としての一枚。その原点の写真がこの無国籍地という写真。デビュー前の彼の原点。

大きな社会的な不条理が生まれたときに、それぞれの形をつかい、自分にとっての真実、答え、アンサーを求めにいったんだろうと思う。

 

13歳で終戦を終えた時に、青空でB29 が飛んでない空をはじめてみた。

無国籍地 Stateless Land-1954 (日本語) 大型本 – 2004/5 奈良原 一高 (著)

奈良原一高が教えてくれる不条理な世界の捉え方

両親の大反対をうけて美術史を学び始める。お金のない中、”浴室”という絵画を23歳のときに月賦で購入する。若くして写真家として世に見初めらてもなお、なにかに囚われることなくスペインへ。スペインを写した写真も面白い。一途に、一つずつその時にある眼の前のことに真面目に取り組む。人としての在り方に、迷いの中での正直さに、高原の人間らしい強さを感じるのだ。

奈良原一高のスペイン―約束の旅 (日本語) 大型本 – 2019/11/29 奈良原 一高 (著)

 

まだ東京でご存命である。と番組内コメントあったので、どこかでトークライブとか聞けたするのかなと思って調べたら、なんと放送回後の先日、お亡くなりになっていた。

bijutsutecho.com

4月がすぐそこまでやってきいてる3月最終週。コロナで在宅推奨されている週末。桜は満開。外では雪が降っている。不条理な世界の捉え方のヒントを奈良原一高が教えてくれる。

 

Maeda

 

奈良原一高の写真集/書籍

 

水中カメラNIKONOS-Ⅴ(ニコノス)という名の衝動 / fish in the dark

 (”fish in the dark” @Gifu JapanYohei Maeda Photography)

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『NIKONOSが欲しい。』

 

定期的にやってくるこの衝動は、まさに本日その理性という壁を乗り越えるほどになっている。購入一歩手前の今。とりあえず冷静になろうと、その想いを綴ることで、冷静さを保つことにする。

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https://fstoppers.com/film/fstoppers-analog-review-nikonos-v-202738

fstoppers.com

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https://fstoppers.com/film/fstoppers-analog-review-nikonos-v-202738

たくさんの写真があってどんな写りなのか確認するためにはとても参考になる。特に、自分が撮りたいと思っているモノクロ写真もたくさんあって尚良い。水中写真となると、カラーで発色の良い、地上ではあまり目にしない”色”という美しさを重視した写真が多いように思う。きれいな海の海中で普段目にしない色彩の魚やサンゴや水そのもの。それらは確かに美しくて人を魅了する。

しかしながら、自分がニコノスを求めた目的はそれらとは違うのだ。水中という空間において、白黒フィルム写真を撮影できるという”能力”なのだ。それゆえ、白黒写真の作例が見たいのである。そういう意味でこのブライアン氏の写真は参考になった。

Nikonos V | Bryan Soderlind : Journal

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https://journal.bryansoderlind.com/uncategorized/nikonos-v.html

水中写真家の大方さんの写真もいい。

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https://blogs.yahoo.co.jp/ookatayoujiuo/45903566.html

blogs.yahoo.co.jp

 

また、強い、頑丈というのも魅力的だ。水中はもちろん、雨、風なんてなんのその。汚れはシャワーで洗い流せばいい。ある意味多少の雑な扱いにも耐えうるであろう四駆のような精密機器というのも実に格好良い。カメラは精密機器でレンズも繊細。当たり前だけれど、性根がガサツな自分にはその頑丈さも大変魅力だったりもするのだ。

id:drake_w_chiveさんの記事はまさにその”強さ”という名のかっこよさが良く伝わってくる。

drake-carrying-chive.hatenablog.com

 

これまで撮影したことのない、水中や水辺すれすれな世界、また、ハードコンディションな陸上という未知の環境下で、どれだけ自分の感性を表現できるのか。そういう意味で定期的にくるニコノスほしい病の波を抑えきれず、今現在絶頂を迎えている。

 

陸上で撮影しようと試みているそれらを、水まわりでも表現してみたいのだ。どんな作品を創れるのか楽しみなのだ。なんて、自分に言い聞かせながら購入ボタンを眺めている。

 

Maeda

お題「カメラ」

お題「マイブーム」

 

”2019年撮ってよかったもの” を書く / Syateki

(”Syateki” @Tottori JapanYohei Maeda Photography)

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的を射ると書いて射的と読む。ふむふむ。令和という新時代に、古びた温泉街に現れた平成よりも更に前、昭和感たっぷりな風情の射的屋さん。店の風景もさることながら、「射的」という文字に惹かれた。的を射る。そんな感覚で自分は写真を切り取る。写真に似ているなーと思ったからだ。

 

(”experiment” @Gifu JapanYohei Maeda Photography)

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岐阜でみる桜はいつ以来だろう?桜の咲く季節に故郷にいることはここ数年ない。平成とともに開業した父は、その平成の終焉とともに承継した。そのお疲れ様&お祝いのために、家族で集まったのだ。縁日のために吊るされた電線と電球、それに添えるように咲いた桜が祝儀袋の帯ようにみえた。平成という時代とともに生きた侍とその関係者、またその家族に幸あれ。

 

 (”fish in the dark” @Gifu JapanYohei Maeda Photography)

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映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の感想として、救いようのない映画で、テンションが下がる。暗い気持ちになる。というよく聞くコメントがある。水族館でみる魚はそれに近い。日本最大の水族館なんて、自然の大きさに比べたら至極小さくて、そんな中で自由に泳ぎ回る魚の魚生(※人生って書こうとしたけど、人でないなと思ったので造語。)ってなんなんだろうなと。ライトに照らされアマゾンっぽい植物に囲われて、温度管理も徹底されたその中で泳ぐ彼らはまさにこんな感じに映った。

 

 (”kanki” @Tokyo JapanYohei Maeda Photography) 

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また一人甥っ子が増えた。弟夫妻の子供が二人いるので、既に甥っ子姪っ子はいた。今年はついに兄夫妻にも子供が生まれたわけだ。生まれたばかりで病院にいる、自分にとって3人めの甥っ子に対面した。眉間にシワを寄せた頑固そうな表情に、ウケるなーなんて思いながらも、そんな動き回る新たな生き物を、皆嬉しそうに眺めている。多少こなれたように抱きかかえる兄が父になるんだなぁ。こうやって皆親になっていくのだなぁ。満面の笑顔で抱く兄という新米父の写真。

 

 (”A” @Nara JapanYohei Maeda Photography) 

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アラーキーの「センチメンタルな旅・冬の旅 」を池袋のジュンク堂書店で立ち読みした時の衝撃は今でも覚えている。電撃ネットワークの南部さんのような風貌で、性やら生やらの写真を撮っている人という認識からの差分よ。「画だよ、結局写真家が追求すべきは」と、構図や画力にしか興味がなかった自分だけれど、自分勝手な自分の物語にシャッターを切り始めているなと気づきだす。10数年取り続けてきての変化に気づく。シャッターを切るという意思という名の事実を直視しながら、自身の変化を客観的に思い知らされる日々だ。

 

 (”butterfly” @Gifu JapanYohei Maeda Photography) 

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花なんて、そもそも綺麗なものを撮ってどうすんだ。そんな写真を毛嫌いしていた自分が花や蝶を撮る。昔よく3兄弟で遊んだ畑で育てられていた花。カメラをもって甥っ子に自転車を教える。そこでみた花と集う蝶々。3人兄弟も大人になりそれぞれ生きている。3匹が畑から飛び立つそれに重なる。セミも蝶もいたずらに採った子供時代の欲求は一体なんだったんだろうと思う。歳をとるというのも悪くない。

 

  (”the shining” @Gifu JapanYohei Maeda Photography) 

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神社に敷き詰められた小石の中に留められたボルト。太陽の光にひっそりと自己主張しているその様にシャッターを切る。なんでもない中にある何かを画にする面白さを見いだせる自分は2019年もまだいるんだとホッとする。

 

  (”chaos2” @Tottori JapanYohei Maeda Photography) 

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死骸は強い。表現が適切かどうかは定かでないが、なにかの死骸は興味深い。シャッターを切りがちな自分がいる。その物語を表現したいとかそういう表現というやらよりも、それを物撮りにせんとする自分がいる。波打ち際に打ち上げられたスーパーの半額シールと真っ赤なボールと魚の死骸とゴミたち。自然のカオスに画を観る感動が楽しいのだ。

 

(”ayane lying down” @Gifu JapanYohei Maeda Photography)

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子供は面白い。どこでも自分の感情に素直にふてくされる。自由でいい。そんなふてくされまくっている孫を怒るでもなく、適当な距離感で見つめる祖父母に年の功という言葉をおもう。時間という名の熟成をおもう。誰しもそんな子供時代を経て、そんな子供を育てあげ、そんな自分の子供が子供を育てる様をみる。そうやって人間の器は熟成されていくのかもしれない。道端で駄々をこねる絢音もそんな時代がいずれ来るのかなあと思いながら。

 

(”genkan flower” @Gifu JapanYohei Maeda Photography)

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イカの破壊力に息を呑む。黒い写真が好きだった。暗部でも詳細情報がぎりぎり残る。そんな繊細な表現が好きだった。モノクロ写真という言葉よりも、白黒写真という言葉がしっくりくると思っている。なんでもない日常も、写真があれば常に美しい。

 

(”otowayama” @Nara JapanYohei Maeda Photography)

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写真を見返すと正面の写真よりも後ろ姿や横顔の写真が多い。被写体が撮られていることを意識している様子よりも、あくまで自然の中にある人という画に興味があるのだと思う。良い写真というのは平面の中に空気感がある。空気を感じる一枚。

 

 (”syateki2” @Tottori JapanYohei Maeda Photography)

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冒頭の写真の店の外観。あまりにビビットな色合いの面構えに、自然とカラーネガを装填した中判カメラを手にとった。令和の時代に映える昭和なお店。時代という名の時間がその独特な世界観を醸し出す。

 

 (”sota and cherryblossoms” @Gifu JapanYohei Maeda Photography)

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おじいちゃんとおばあちゃんが盆栽教室で桜の苗木を植えてきた。どちらの苗木の成長の方が早いか遅いかだと言い合って、仲睦まじくやっている。その苗木についた虫を眺めている甥っ子。幸せの形はわからないが、人と人の間にあると思っている。桜もソウタも"らしく"育ってくれればそれでいいと思っている。

 

仕事に心をもっていかれていた一年だった。自身の変化や覚悟を求められた一年だった。時間的な拘束ではない、ついつい考えてしまうという点で、頭の中心がそのことになっていたと振り返る一年だった。それはそれで意味がある。そういう年があってもいい。

 

他方、近場の暗室に出会ってから、撮りためたフィルムを少しずつ焼き始めている。改めて焼きまで完遂した写真は美しいなぁと感動する。これが自分の写真だと再認識する。

 

淡々と自分なりに撮り続けていく。2020年も良き写真に出会えるように。

 

Maeda

今週のお題「2020年の抱負」