TWO BOOKS

白黒写真が僕を好きな理由

【2017年にヤリたいこと】入れるから出すのではなく、出すから入れるのだ。 / cloud

(”cloud” @Somewhere Japan Yohei Maeda Photography)

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今週のお題「2017年にやりたいこと」


挿入論。知識や経験を入れるからアウトプットを出すわけではなく、何らかのアウトプットを出すから新たな学びを入れる事に励めるのだ。


写真を、文章を、ビジネスを、アイディアを、外に出していきたい。五分六分咲きの完成度だとしても世に放っていきたい。


出すこと” これが2017年にヤリたいこと。

 

2017年 元旦

Maeda

”2016年に買ってよかったもの” は皆やってるから、”2016年撮ってよかったもの” を書く / favorite things

(”favorite things” @Bangalore India Yohei Maeda Photography)

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バンガロールの空港で搭乗待ち中に観た光景。1人の少年がずっと食入るように飛行機を見ていた。誰かを見送っているようには見えなかったので、おそらく飛行機が単純に好きなんだと思う。「これだけ好きなら将来はパイロットだね。」なんて人生は甘くはないと思うが、好きなものへの純粋な集中力は無垢過ぎて好きだ。何かに繋がる。

 

(”two girls” @Bangalore India Yohei Maeda Photography)

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インドで企業訪問してた時、その会社の屋上から見えた隣のビルの屋上。屋上に小屋?があり、そこに住んでいるとみられるお母さんと少女。少女がぬいぐるみの少女をもってニッコリ笑ってくれたので、仕事中にも関わらず思わず撮影した。

 

 (”hirosaki castle” @Hirosaki Japan Yohei Maeda Photography)

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弘前城壁を全て改修工事していた際の一枚。すべての城石に印があり、その綺麗な仕事ぶりと、その意図せぬ美しさにシャッターを切った。

 

(”skytrees” @Tokyo Japan Yohei Maeda Photography) 

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東京タワーやスカイツリーのようなシンボル的な象徴は、色んな小説でしばしば墓石に例えられている気がする(多分。)。それをまさに画に描きおこしたような格好で出会った。大量の卒塔婆と後ろに佇むスカイツリー卒塔婆の大きさと光のコントラスト、またそれに妙になじむスカイツリー。I've seen so many skytree”s” in the grave.

 

 (”gokokuji” @Tokyo Japan Yohei Maeda Photography)

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護国寺らしい一枚。よく晴れた夏の日。”護国寺”の標識と共に、いつもの護国寺前T字路にて。

 

 (”AI” @Tokyo Japan Yohei Maeda Photography)

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世話好きの母は定期的に食料や日用品を今でも実家から送ってくる。嬉しい半面、その量の多さに面倒さも感じてしまう部分はあるが、”愛”を感じるのも事実だ。実家の畑で栽培した花も時折入っている。ぶっきらぼうな私に代わっていつも丁寧にその花を花瓶に添えてくれる彼女(”藍”)。感謝している。そんな事を想って日曜朝に撮影した一枚。"AI"と名付けてみた。

 

 (”last portrait” @Gifu Japan Yohei Maeda Photography)

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2016年に撮影した写真ではないが、今年になってようやく取り込んで作成した写真。2012年におじいちゃんが亡くなった。葬儀場に泊まり、葬式が始まる前の誰もいない朝方に撮った写真。何枚もポートレイトを撮ってきたが、これが最後のポートレイト。

yoheimaeda.hatenablog.com

 

 (”konami” @Tokyo Japan Yohei Maeda Photography) 

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ジムに通っている。そのジムの更衣室から見える風景が綺麗だなといつも思っていた。この日は運動するというよりは、写真を撮ること重視で行った。静かな更衣室でバケペンの”ガッシャン”というシャッター音が個人的には心地よかった。きっとあのジム初の音だった事だろう。

 

(”yoko-san” @Tochigi Japan Yohei Maeda Photography) 

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奥さん(ヨウコさん)の遺影を店先に飾るカフェブロッサムの相場さん。そのヨウコさんの前にワインを注いだワイングラスを置く相場さん。変わらず素敵な二人だと思った。

yoheimaeda.hatenablog.com

 

(”Justin's” @Rochester USA Yohei Maeda Photography) 

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2016年は大学卒業以来初めてアメリカ本土へ訪れた。大学時代の親友Justinの結婚式に参列するために。Justinは実家の隣に家を購入して、Justinらしい生活をAlex(奥さん)と営んでいた。学生時代と変わらないコミック(漫画)制作が中心の生活をしながら。パパと一緒に塗り直したJustinの家とJustinの愛猫。Justin's。

yoheimaeda.hatenablog.com

 

(”shibuya” @Tokyo Japan Yohei Maeda Photography) 

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渋谷駅周辺が大きく変化している。先日まで建っていたビルがなくなったかと思えば、歩道橋の形が週単位で変化し、景色が変わる。毎日通勤している朝方の太陽の光が最高だなーと思いながら横切っていた。同じ場所同じ時間。ただ違うのは目的。写真を撮るために、休日に、渋谷へ降り立ちシャッターを切った。

 

(”Alive” @Gifu Japan Yohei Maeda Photography) 

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連作。夏の日のニ枚。道を横切るミミズ。田舎だとなぜだか良く目にする光景だ。アスファルト上の一本のミミズを撮った。数歩歩くと一台の車が通った。振り返るとそのミミズは死んでいた。1分足らずの出来事だった。”生きている”という現在進行形という当たり前が奇跡みたいに思えた。

 

(”dead cat” @Aomori Japan Yohei Maeda Photography) 

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2016年の中でベスト。撮った瞬間に”良い”写真は分かる。この時もそうだった。冬支度始まる青森で出会った水没した猫の死骸。恐ろしかった。だが同時に、川面に反射する冬の木々と空、生きたまま眠るように横たわる猫、冷たい川と木影に閉じ込められたような命、”生命”を感じた。圧倒的画力のある一枚。

 

「それでも続けていくんだよの精神、ファオッ!」って誰かが歌っていた気がするけど、それを地で学んだ2016年だったように思う。

 

撮影し続けよう。2017年も良き写真に出会えるように。

*最近アップしたものを閲覧できるようにしてみた。掲載できなかった写真も沢山あるので見てみて下さい。

Yohei Maeda Photograhy :New Update


Maeda 

*お題:トピック「2016年ベスト」について

”クリスマス”の写真 / christmas

(”christmas” @Kuala Lumpur Malaysia Yohei Maeda Photography)

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クリスマス。
 
冬の寒さの中、どこかに感じる暖かいイメージを連想する。
家族と一緒に過ごす海外。恋人、カップルというイメージが強い日本。スタイルは違えど、大切な人達に囲まれた幸福感を連想する。
 
そんな連想と相反する、真夏の暑い炎天下の中で、幸福感とは程遠い”クリスマス”という写真を撮った。 

現像前に分かる良い写真

強烈なまでに覚えている。
 
写真を撮りながら放浪していた時、マレーシアで1人のホームレスに出会った。大きな建物が取り壊された後であろう空き地に残った大きな木の下で、彼は古いリアカーを修理していた。
 
色んな国で出会った人のポートレイト集(写真・名前・年齢)も創ろうと思っていた。面白いかもと感じた人には声をかけて写真を撮らせてもらっていた。
 
その時も、そんな下心ありきで話しかけたと記憶している。
 
リアカーの修理の仕方を教えてくれた。
家(廃ビルの軒先)を案内してくれた。
写真の撮影も快く応じてくれた。
お気に入りの椅子をわざわざ自分で持ってきて構えてくれた。
 
「おいくつですか?」
「忘れた。」
 
「名前は?」
「…....クリスマス。。」
 
返答までの間から、やはり彼の本名でないのだろう。クリスマスという幸福なイメージとは程遠い、その言葉のセンスにゾクッとした。
 
誇張するわけでもなく、寒気がした。良い写真になると。
 
いつも以上に丹念に露出もピントも気をつけてシャッターを切り続けた。

写真の心技体

最高の天候と光の加減。
全てを悟ったような強い眼光。
陰影まで鮮明に描写する程よい露出。
適切にフォーカスされたピントと、完璧なまでの被写体深度。
太陽に照らされた赤いのシャツに、ガラスに映る鮮やかな緑と空。
脚本でも存在しているかのような物語。
 
カラー写真の面白さと凄みを教えてもらった写真だったと思う。技術的にも、芸術的にも、”写真を撮るんだ”という情熱的にも、三者が完成度の高い次元で出会う事で創れる写真の凄みを知ったという感じだろうか。
  
写真の”心技体”を教えてくれた写真だったように思う。

Happy Merry Christmas

”クリスマス”という名前のマレーシアで出会った1人のホームレスのポートレイト。濃い目のワインレッドのシャツと背景に映える緑が奇跡的に表現してくれるクリスマス感。暖かく幸福なイメージとは異なる”クリスマス”というタイトルの写真。
 
今でも大きくプリントアウトした写真が自宅玄関に飾ってある。
クリスマスカラーの額縁で。
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Happy Merry Christmas!
 
Maeda 

Nakamuraのオーダー靴。良いものを正しく履く。/ 5keys

(”5keys” @Somewhere Yohei Maeda Photography)

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オーダーシューズ。Nakamura。

夫婦でつくる、”半年待ち”のオーダー靴店が東京足立区にある。

www.pen-online.jp

実際にNakamuraの店舗へ行くと奥さんと旦那さんが直接接客もされていた。お店というよりも、いわゆる”工房感”漂う素敵な空気感の店舗だった。

*NakamuraのHPを見ると”作業場”という表現をされていて乙。

店舗で相談・試着・サンプルを吟味してオーダー

上記記事内(PenOnline)で紹介されていた”ワークブーツとスニーカーの中間のようなデザインを目指して考案したブーツ” がまさにドンピシャに求めていた靴だなと思ったのでNakamuraへ訪問してきたのだ。ソールは軽くてより歩きやすいビルケンソールへ変更。

 

2016年7月2日に店舗を訪れ、実際にオーダーした注文票。

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*ただ、やはりブーツって結局脱ぎ履きが面倒、かつ、普段の会社使いもできるものがいいなと思い、ブーツではないハイカットではない靴へと電話にて後日変更。

 

実際に届いたNakamuraのオーダーシューズ

2016年7月2日にお店でオーダーし、2016年12月11日の本日、郵送にて靴が届いた。約6ヶ月位かかると言われていたが、実際には約5ヶ月にて注文した靴が手元に届いた。

 

着払いで、33000円を支払った。手づくりのオーダーシューズなのでそれ相応のお値段はする。ちゃんと手入れしながら履き続ける事を思えば、中途半端な既成品を買うよりコスパは圧倒的に良いと思っている。

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f:id:yonpei704:20161211165847j:plain中敷きに”Nakamura”の刻印あり。左足だけというとこにセンスを感じる&かっこ良い。シンプルな革靴だが、とにかく軽くて足にフィットする。カジュアルにもセミフォーマルにも履きこなせるイメージあり。

 

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郵送された箱の中には、靴だけではなくちゃんと長く靴を履きならすために必要な道具とノウハウという優しさも一緒に入ってた。

  • 換えの紐
  • クリーム×2
  • お手入れ方法を記載したシート

 

f:id:yonpei704:20161211165927j:plain直筆のメッセ−ジの入ったポストカードも。

 

ノウハウの用紙しかり、手描きのメッセージしかり。こういったお客思いの接客や、大事に靴を履いて欲しいという”靴思いの接客”。良い靴を創ろうとする姿勢を随所に感じるNakamura。

 

良いものを正しく履く

軽くて自分の足にフィットする靴。革靴だけれど歩きやすい靴。

いわゆる名の知れたブランドの靴も良いかもしれないが、製作者の顔が見える、思いのこもった製品は不思議と大事にしたくなる。

 

しっかり履き慣らして正真正銘、”自分の靴”にしていこうと思う。

 

nakamura

東京都足立区江北4-5-4 2F
TEL:03-3898-1581
営業時間:10時~18時
定休日:日、月曜(祝日の場合は営業)
※2016年は1月11日(月・祝)から営業
http://www.nakamurashoes.com/news.html


Maeda

この世界の片隅に想う / harigane

(”harigane” @Somewhere Yohei Maeda Photography)

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今を肯定してくれる映画だと思った。

片思いの人ではない知らない人に嫁いでも
性格きつい義理姉と同居する事になっても
自分のせいで姪っ子が亡くなっても
大好きな絵を描いてた右手を失っても
家族が原爆でいなくなっても
 
それでも世界の片隅で普通に生きていく。
常に今を肯定してくれる、そんな映画だ。
 
大丈夫。全てはうまくいっているよと。
 
Maeda
 

そこにいれば、いい写真は撮れる / 3

(”3” @Somewhe SpainYohei Maeda Photography)

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報道写真家。戦場カメラマン。

この世の中には文字通り命がけで写真を撮る人たちがいる。銃弾飛び交う中でその場で起きている現実と、その中にみえる人間模様を写す人たちがいる。 

澤田教一写真展「生誕80周年 澤田教一:故郷と戦場」へ行ってきた

先日、そんな報道写真家の澤田教一写真展「生誕80周年 澤田教一:故郷と戦場」を青森県立美術館で観てきた。
澤田教一(さわだ きょういち、1936年2月22日 - 1970年10月28日)は、日本報道写真家。ベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』でハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、ピューリッツァー賞を受賞した。(wikipedia)
 
澤田教一といえば、ベトナム戦争時にピュリツァー賞受賞作に含まれる《安全への逃避》(1965年)では、戦闘で故郷を追われながら、必死に生き抜こうとするベトナムの人々の姿を捉え、世界中に戦争の過酷な現実を突きつけた。 
 
《安全への逃避》(ピュリツァー賞受賞 1965年)

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敵を連れて(第10回世界報道写真展ニュース写真部門第2位 1966)

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ベトナム戦争の激しさがました時期、激戦地での撮影を続けた。34歳で銃弾に倒れるまでの約5年間に、数々の傑作を世に出し続けた。1970年(昭和45年)プノンペンの南約30キロの国道2号線上で取材中、何者かに狙撃され死亡した。

 
そんな青森県出身の彼が残したフィルムや電送写真原稿などを元に今まで未発表のカットを含む写真や資料300点余りが展示されていたのだ。
 
ベトナム戦争下の生々しい写真も勿論だが、彼が写真にのめり込んでいく日本の米軍駐留基地内での写真や、故郷青森の普通の日常。”安全への逃避”があまりにも有名だが、当たり前のように彼が撮り続けた何枚もの”普通の”写真をみることができて、共感と共に親近感を覚えた。
 
故郷青森と戦地を行き来しながら撮影したほんの5年足らずの時間が数々の強烈な写真を産んだ。最初のベトナムは自費で乗り込んで撮影し、後期のプノンペンも香港の安全なデスクワークに戻されてもなお、自ら戦地を志願している。名作とは、”その時そこにカメラと共にいる”という事実をいかにつくれるか、すなわち、その情熱に起因するなと改めて感じさせてくれる。
 

 「生誕80周年 澤田教一:故郷と戦場」のパンフレットより

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一ノ瀬泰造という報道写真家

話は変わる。日本人の報道写真家といえば、もう一人有名な人物がいる。
 
半年の試用期間の後UPIを解雇され、フリーランスの戦争カメラマンとして活動を開始。米軍キャンプPXの写真屋で1年間働き資金を貯め、インド・パキスタン戦争へ向かう。1972年3月、ベトナム戦争が飛び火し、戦いが激化するカンボジアに入国。以後ベトナム戦争カンボジア内戦を取材、『アサヒグラフ』や『ワシントン・ポスト』などのマスコミで活動し、「安全へのダイブ」でUPIニュース写真月間最優秀賞を受賞した。
カンボジア入国以後、クメール・ルージュの支配下に有ったアンコールワット遺跡への単独での一番乗りを目指しており、1973年11月、「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだら“サヨウナラ”!」と友人宛に手紙を残し、単身アンコールワットへ潜入し、消息を絶った。
9年後の1982年、一ノ瀬が住んでいたシェムリアップから14km離れたアンコールワット北東部のプラダック村にて遺体が発見され、1982年2月1日に現地へ赴いた両親によって確認された[1][出典無効]。その後、1973年11月22日もしくは23日にクメール・ルージュに捕らえられ、「処刑」されていたことが判明した。(Wikipedia)
プノンペンから少し離れたシェムリアップには、一ノ瀬泰造の墓がある。
 
澤田がプノンペンで亡くなったのが1970年。一ノ瀬がシェムリアップで消息を絶ったのがその3年後の1973年。一ノ瀬は澤田よりも9つ年下だったので当時26歳。澤田ほどの報道写真家としてのキャリアはないが、まさにこれから沢山の写真を残さんとする意気込みめいた心情を感じる。
 
彼は戦争下の写真もそうだが、それ以上に村での普段の村人達の写真、また、そこにいる子どもたちの普通の日常の写真が素晴らしかったりする。彼の人柄がそんな写真を通して垣間見える。
 
《安全へのダイブUPIニュース写真月間最優秀賞

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また、こちらもあまり目にする機会はないのだが、彼の写真サイトが存在している。そこには戦地で撮影した数枚の写真と共に、故郷(泰造の故郷、武雄の隣町の有田)を写している写真が存在する。有田の町やそこで暮らす人々をライフワークとして撮影していたらしい。

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写真家 一ノ瀬泰造 オフィシャルサイト

言葉を選ばず言えば、”普通の写真"なんだと思う。こういった普通の日常を愛して撮影する若者が、戦争下でのみ写るその景色に魅了され、それを残さんと挑んでいったのだろう。世の中に出回る写真はいつも衝撃的な戦争中で撮影された1、2枚だ。しかし、こういった普段の写真とのギャップを見ることで、いかに名作といわれる写真が一瞬の偶然たる産物かが分かる。同時に、その偶然をつかむ裏にある計り知れない情熱の大きさも。

 

一ノ瀬泰造に関しては、”地雷を踏んだらサヨウナラ”という書籍、また、その映画(浅野忠信主演)が有名。写真を知らない人でも分かるかもしれない。20代のギラついた無謀さが危うくて美しい。まだ観てない人、また、一ノ瀬泰造に興味が湧いた方はぜひ一度観てほしい一本だ。

そこにいれば、いい写真は撮れる

良い写真を撮る絶対的方法論は存在しないだろう。しかし、一つだけ言えるのは、”その時その場所にカメラをもってそこにいること”は絶対的真実だろう。。すなわち、撮るんだ。という気概というか、情熱だと。カメラを持って出かける態度だと。

 

なぜ、なんのために、同じ国民が戦わなければいけないのだろう。

ほんとうのものを知りたい、つかみたい。

If you are there, you get good pictures.
そこにいれば、いい写真は撮れる
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Maeda